投稿者「Mahiru」のアーカイブ

病気と健康と医療を巡る周辺

      

    医療と前よりは距離をとっている今、色々思うところがあって、少しまとめたいと思う。

    まず、病気とは何なのか、よくわからなくなってきた。精神科外来には、いわゆる診断基準で定義された「病気」とは言えない相談がよく持ち込まれる。それらはその時点では「病気」というより「悩み」や「心配」だったりし、それは診療所で健康保険を使って診るべきものなのかどうなのか、などと考えたりする。ただそれが「病気」に進展しない、と断言もできず、なんとなく相談に乗りつつ、引っ張ったりもする。しかしそれが良く作用して、来た人が幸せになるかというと、かえって医療という枠組みへの依存につながってしまったこともあったと思う。私自身は薬をたくさん出すのは好まないが、昨今の多剤併用の問題も、本来は医療で診られない問題を医療で扱おうと努力するとそうなってしまうのだと思う。中途半端な「医療」や「支援」はかえって毒だなあと今では思う。そういう意味で、反精神医学的な思想には、一部ではあるが共感もする。「悩みは薬では治らないし、病院に来ても医者が治せるはずもない」。よく考えてみれば当たり前のことだ。 

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    8月9日

    3年前に観たこの映画。「夏の祈り」。

    長崎の被爆者の暮らすホームで、見学に来る学生の前で、年に数回演じられる原爆の体験の演劇。高齢 になりほとんど車椅子に座ったきりの人たちがこの日だけは立ち上がって、「あの日」の体験を演じる。脇を若いヘルパーに支えながらでないと歩けないのに、 それでも演じようとする入居者の人たちは鬼気迫るものがありました。

    原爆投下直後の長崎で、修道女たちが歌いながら数日を生き延び、死んでいった賛美歌「み母マリア」。

    今NHKスペシャル「あの子を訪ねて 長崎 被爆児童の70年」を観ている。去年は「マッハステムの脅威」を観た。爆心地から離れた場所のほうが爆風の威力は大きかったらしい。

    戦争は、決して終わらない記憶を心身に刻む。終わらない記憶は、決して書き換わらず、その人たちの中で、現在の時間に並行して流れている。それは時々、現在に侵食して、忘れるなと迫る。

    でも、体験した人が誰もいなくなったなら?同じことをまた繰り返すのだろうか?あったことを忘れようとすれば、忘れるなとまた歴史が迫ることになるのだろうか。

    『私』というコンセプト

     「病気は生きられなかった人生の現れである」。 ドイツに行ったときに、ヴィクトール・フォン・ヴァイツゼッカーの言葉として聴いて、心に残っている言葉だ。原典を探しているが見つからないので、本当に彼の言葉どうかは不明なのだが、ヴァイツゼッカーは、「医療人間学」を提唱し、病む人の人生の歴史と病気のあらわれの関係を考察し続けた人である。彼は、人生において困難な局面で、病気があらわれることで、何か別のものを得たり、そのことで救われたりすることについて考察している。 人生にはいつも多くの可能性があり、節目節目で決断を迫られる。何かを選択するたびに、かなえられたかもしれない可能性を捨てていく。ほんとうにこの選択は正しいのか、何度も自問自答し、断腸の思いで何かを選ぶこともあれば、何気なく決めてしまうこともある。そして後になってこの決断は自分にとって、ほんとうに正しかったのだろうかと悩み、抑うつ的になる人もいる。 続きを読む

    音楽の中で、もう一度ひとは目覚める—映画「パーソナル・ソング」

    ずっと見逃していた「パーソナル・ソング」を観た。

    米国の認知症の入所介護施設。自発性も記憶力の改善もみられず、ただ日々の時間を無表情で過ごす人たち。MSWのダン・コーエンは、ipodでその人たちにとって思い出深い音楽を流してみたところ、ずっと無反応だった人々が即座に次々と歌い、歩き出す。

    「月1000ドルの医薬品を使ってもまったく反応のない認知症の人たちが、40ドルのipodから流れる音楽でたちまちいきいきとする。しかし、それにはお金は出ないのです。それは医療の枠外だから」とフィルムの中で老年医学者のビル・トーマスは語る。そう、それは医療ではない。効かなくても高くても、医療の枠組みに乗っているものだけが医療として認められる。フィルムの後半で、ダンがipodの普及に寄付を求めてあちこちを回るけれども、けんもほろろに追い返されるシーンがある。

    神経学者オリバー・サックス。「音楽はその人の内面の感情や記憶を甦らせる目覚めの力を持っている」と目を輝かせて語るドクター・サックスは本当に素敵だ。「妻と帽子を間違えた男」に出てくる患者さんも深刻な失認症状を伴っていたが、音楽を杖として生活していた様子をいきいきと書いていたことを思い出した。

    音楽を聴いた瞬間にいきいきと歌い、踊り、語り出す認知症の人たちがこの映画の主役だが、私が個人的に感銘を受けたのはゲスト出演のボビー・マクファーリンのシーン。「人間の中にあらかじめ音楽がある」と語る彼は神経学者の登壇するシンポジウムで、壇上で飛び跳ねながら、聴衆に自然に音階を歌わせ、音楽に導いていく。

    存在が音楽であるボビー・マクファーリンの凄さ。彼そのものが音楽であり、音楽への愛そのものだ。

    私が認知症になったら、ipodに入れて流されるのはムーンライダーズなんだろうな。私はたぶん、歌いながら、高1女子のこじれた心性を語り出すだろう。それはあんまりにも恥ずかしいので、認知症にはなりません。ならないようにする。

    めちゃくちゃおすすめなんですが、下高井戸シネマで3/20まで、午前中というきびしいスケジュール。でも是非!行けない人は予告編だけでもぜひ。

    http://personal-song.com/

    ダンの活動はこちら。全米の施設にipodと音楽療法を広めようと情熱を持って活動中。寄付も募集中。

    http://musicandmemory.org/about/mission-and-vision/

    うしなったもの。

    自分自身がうしなったもの。それらのいくつかは数えることができる。声と歌。色と絵。動きと踊り。音と音楽。植物や動物に触れることと、自然の中の時間。でもむしろ数えられるもののほうがずっと少なく、ほとんどはうしなったという感覚が漠然とあるだけで、何をうしなったのかすらよくわからなくなっている。それらはずっと内部でわたしを支えてきたけれど、いつしかそれらとの時間を捨てなければ、日々の義務をこなしていけないようになっていた。

     日々の人々の要請は、わたし自身の内面の声よりもずっと大きい音でわたしを駆り立てた。助けてください。これをやりなさい。あなたの利益にもなります。私がこんなに苦しんでいるのに、あなたは私を見棄てるのですか?結果としてわたしは、わたしにできる最大限の無私として、わたし自身を棄て、わたし自身の思考と感情と意志を知識とスキルの習得とに振り向け、そうしてわたしは自分自身の内面の時間の流れから切り離された。

     ミヒャエル・エンデの短編集「鏡のなかの鏡〜迷宮〜」に、翼を得て迷宮から恋人と飛び立とうとする若者の話がある。 翼を得た若者には試験が課せられる。漁のための長い網をまとって、夕方まで恋人に会わずに街を歩くこと。簡単な課題だった。「お前さんはもうすぐここから出ていくんだろう?では俺の重い荷物を少しだけ持っていってくれ」と次々に迷宮の住人が網にがらくたをからませていく。「いいですよ」と若者は気前良く答える。幸福な者にはそれくらい、なんでもない。不幸に対応するのは、幸福な者の義務だ。若者は重たくなる網を引きずって歩き続ける。夕方になり、試験の終了時間。遠くで数人の若者に「試験に合格した」と天使が語る声が聴こえる。「ぼくをお忘れじゃありませんか!」と彼は叫ぶ。その瞬間に彼は悟る。妥協しないことが自分の課題だったのだ。彼は試験に合格しなかった。そして彼は永遠に迷宮の住人となったのである。

     思うに援助職というのは似たようなもので、それを職業として選んだ者への義務および自身の権利として、「被援助者」は重荷を預けていく。しかし、ほんとうは、被援助者というまなざしを向けないこと、その人が重くまとってしまったしがらみは見据えずに、その人の内部に隠れている力だけを見つめることが、ほんとうの援助なのではないだろうか。妥協しないこと、とはそういうことだと思う。ひとの重荷を代わりに背負うことではない。
     無数の外的な些末な要請にこまごまと答えるうちに、わたしは自分自身の源泉への道をうしなっていった。わたし自身はもうしばらくは、声を出すことができない。このまま動き続ければそれは魂のない機械の作業でしかなく、それがひとを癒すとはとても思えない。だからしばらくは、自分の内面の時間の流れに戻ろうと思う。あとは、神の知るところである。