『私』というコンセプト

 「病気は生きられなかった人生の現れである」。 ドイツに行ったときに、ヴィクトール・フォン・ヴァイツゼッカーの言葉として聴いて、心に残っている言葉だ。原典を探しているが見つからないので、本当に彼の言葉どうかは不明なのだが、ヴァイツゼッカーは、「医療人間学」を提唱し、病む人の人生の歴史と病気のあらわれの関係を考察し続けた人である。彼は、人生において困難な局面で、病気があらわれることで、何か別のものを得たり、そのことで救われたりすることについて考察している。 人生にはいつも多くの可能性があり、節目節目で決断を迫られる。何かを選択するたびに、かなえられたかもしれない可能性を捨てていく。ほんとうにこの選択は正しいのか、何度も自問自答し、断腸の思いで何かを選ぶこともあれば、何気なく決めてしまうこともある。そして後になってこの決断は自分にとって、ほんとうに正しかったのだろうかと悩み、抑うつ的になる人もいる。
 選択は、多くの場合において、多くの精神力を要する作業であり、ひいては「私はなにものなのか?」を自分自身に問うことである。人はみな、どこかの段階で、「わたしがした選択ははたして正しかったのか?」と考える瞬間があると思う。
子どもから大人になっていく過程で、誰もがする選択の中で最も大きなもの、それは進学と仕事の選択ではないかと思う。最近よく診察室で出逢うのは、大学へ進学したもののうつになってしまう学生や、消耗する就職活動をようやく終えて入社した会社で燃え尽きてしまう新入社員たちである。学校や会社を選ぶとき、若者たちの大多数は、まだほんとうには自分の志向するものがわかっておらず、親や周囲の助言に無意識に影響される。そして、親や周囲の勧める進路は、「その人たちの時代において」経済な安定が見込めた仕事がほとんどである。しかし時代は変わって、時流にのっている企業でもいつ倒産するかわからず、また雇用も流動的だ。
 可能なかぎりたくさんの情報を集め、たくさんの人に助言を聞き、メリットとデメリット、コストとベネフィットを比較して、選択をするのは今では普通である。しかし、「自分とはなにものか、自分は今後どうやって生きていきたいのか」という問いにたいして、このやり方で答えを出すことができるのだろうか?
 私に関して言えば、子どもの頃は絵を描くことが好きで、ほんとうは芸術と関わる仕事に就きたかった。しかしたまたま進学校に進んだことから自分の希望から大きく逸れて医学の道に行ってしまった。医師も十余年続けられているのでそれなりには向いていたのかもしれないが、それでもどこかでほんとうにこれが最良の選択であったのか、という疑問がふと浮かんでくる。

 冒頭の言葉のように、人には見続けられなかった夢がふと亡霊のように甦る瞬間がある。ある日、いつも行くカフェに、そのパンフレットがおいてあった。都内の美術専門学校の、社会人向けプログラムの案内だった。大人のためのアート、というコンセプトにどうにも引かれた。過去の棚卸しのために、生きられなかった人生から呼ばれたのだろうか。受講できる時間のプログラムを見つけて、通うことにした。
 デッサンや色彩など美術学校での基礎的なプログラムも楽しかったが、どうしてもひとつ気になるプログラムがあった。「コンセプト」というクラスだった。新しいアイディアを生み出すためのクリエイティブワークや、自分自身が本当に伝えたいこと、それを効果的に表現する方法について、演習する。直感的に、受けてみたいと思った。
 講師の先生はCMなどの広告のクリエイションを手がけてきた人で、緊張した面もちで集まった社会人クラス生に対して、にこやかに発した一言はこのようなものだった。 「仕事とは、説得することではありません。共感してもらうことです。」
その言葉を聞いて軽い衝撃を受けた。医者は常に「説得」しようとしている。たくさんの情報とエビデンスを収集し、自分の考えを裏付けてから説明する。もちろんそれは医療だけでなくどの職業でも求められることだ。しかし同時に、専門知識の情報量の増加は、患者さんの日常実感から医療を遠くした。
 相手が理解していないとき、私たちはもっと多くの情報を提示して説明しようとする。医者が一生懸命説明しているとき、患者さんが不安そうな表情で座っている様子を目にする機会は少なくない。
こういう状況に陥ったときには、まず相手の共感は得られていないだろうと思う。消化できない情報が多すぎるのだ。

 クラスの中で行った作業、それは知識としての情報を外から集めることではなく、むしろ自分の中にある情報、つまり自分の認知や感覚情報を深く掘り下げることだった。 「伝わるコンセプト、それはたったひとつだけなのです。多くの情報の中から、自分にとって一番大切で伝えたいこと、それを絞っていくことです」
 コンセプトのクラスは私にとっては、今まで常識だった見方が切り替わるような、新鮮な思考の体験だった。ひとつのテーマについて、さまざまに、考えたこと、感じたことを、ブレインストーミングを通じて皆で出し合う。どんなアイディアも否定せずに、きちんと出しきった後に、より大きな概念に統合していく。批判されたり否定されたりすることがないので、思いついたことを自由に言えた。

 感受性や思考が豊かすぎるゆえに、いつも混乱が生じている患者さんがいた。彼女は知的で知能も学歴も高く、有名な大企業に勤め、身を粉にして働いていたが、結果的に彼女の望むことではなかった。彼女は次第に自分の中に葛藤を感じ、解離症状を発症するようになり、勤務が困難になった。彼女には音楽や文学の才能など、様々な能力を持っているが、周囲で求められることを優先し、無意識に自分の欲求を抑えるため、結果的にその反動が症状として華々しく展開してしまうようになった。解離して記憶を失い、気がついたら遠方に行ってしまっていたり、大量に何かを買ってしまっていたりする。彼女はいつも混乱しており、矢継ぎ早に感じたことを微に入り細に入り話しては、ほんとうに話したかったことを見失うことが続いていたため、治療の方向性に息詰まっていた。
 コンセプトのクラスの翌週、彼女との面接のとき、私はある問いかけをしてみた。
「あなたにとって、たったひとつの大切な本質ってなに?」 「そしてそれを表現するとしたら、どんな活動をしたい?実現できるかどうかは考えずに、出してみて」
 彼女はしゃべりだそうとした口から出る言葉を失って、虚をつかれたように口をつぐんだ。話を遮られて怒るかと思ったが、「考えてみます」と言ってその日の面接は早々と終わった。 次の面接の時、彼女はその課題に対してたくさんのメモをもってきた。「旅行と文章が好きなのでライターになりたい」「社会のマイノリティを助ける職業に就きたい」「細々とでもいいからデザインの仕事をしたい」など、具体的なアイディアをいくつか考えてきてくれた。「ひとつにするのはまだ時間がかかると思う」と彼女は言い添えた。

 次の診察で、彼女は「あの後、数年ぶりに7時間続けて眠れました」と言ってくれた。そして、「私の本質を言葉にすると、『誇り』だと思う」と言った。 彼女は、自分の本質に向き合おうとしており、抑うつ的になったり、大きな怒りを表出したりして、感情的には非常に苦しい過程を通っている。けれども、この面談の時、日常の些末な無数のできごとに対するこだわりをおいて、彼女の本質との出逢いができたような気がする。苦しみながらも、彼女の内部は統合に向かっているように感じている。 多才な彼女において、活動や仕事の具体的な内容については、ひとつに絞る必要はないと思う。しかしそれらを統合するコンセプト、それは彼女自身によりひとつに絞られる必要があり、それは「誇り」という言葉に集約されたと思う。
 自分自身のどこかを切り捨てることで、解離症状が起きてくるのではないか。切り捨てずにより大きなコンセプトに向かって統合していくこと、そのために外部の情報に惑わされずに一度深く自分の中まで降りてみること、それがほんとうの「選択」なのではないかと思う。彼女の誇りがきちんと花開くこと、それを心から願っている。