投稿者「Mahiru」のアーカイブ

だるい人

繰り返し見る夢がある。また高校生に戻っていて、朝学校に行くのがだるく、午後になってから重い足を引きずって向かう。もうさすがに授業は理解できなくなっているだろうと思いながら、坂を登る。途中で引き返したりもする。こんなに出席していないのだから、進級すらやばいのかもしれない、と思い、取り残される恐怖感がこみ上げてくる。
目が覚めた後にもその恐怖感が残存していて、「学校へ行かなきゃ」としばし考えてから、ああ、もう学生じゃない、学校へ行かなくていいんだ、と気がついて、心から安堵する。

同じように、受験勉強している夢というのも観る。具体的な場面というより、なんとはなしに、受験に向けて追い立てられている夢である。起きてから、「試験勉強をしなくていいのか?」と考えてから、もう受けるべき試験など抱えていないことを思い出し、やはり安堵する。

実際の過去の自分は、ほとんど休まず学校に通い、勉強も理解していないことがばれない程度には暗記で乗り切り、夢のような事態は現実には全くなかった。
しかし、高校で何をしていたのかというと、記憶が薄い。友人たちと同人誌を書いたり、ロックを聴いて、御茶ノ水あたりを徘徊していたことなど、部分的には鮮烈に記憶しているが、「学校生活」という茫洋とした包括的な時間のことはあんまり覚えていない。

自分としては、これは慢性的な軽い解離だと思っている。

解離という現象は、つまらない授業の最中の白昼夢みたいなごく軽いものから、行動の記憶を全くなくしてしまうような病的なものまである。しかし基本的に、周囲の環境と、自分自身の真の感情や希望とのギャップがあり過ぎて、両方の時空間から自分の存在を切り離してしまう現象だと思っている。

私の中に、学校はつまらないし何もかもだるいと感じている自分自身の分身がいた。しかしその時はそういうだるい人を排除して、「まあまあ社会的に妥当な感じ」で適応することを選んだ。
繰り返し観る夢、これはその時並行して確かに存在しながら、生きなかった自分自身である。
不惑を目前にして、その時排除された自分の中の「だるい人」が20年越しの反抗期を迎えて、いま夢の中からだるさを訴えている。それどころか、現実にも侵食しつつある。

だるい人は最初からだるかったわけではなく、環境がつまらないからだるくなったのであり、その環境から出ようとせず、甘んじて過ごしていた私自身に抗議している。
自分自身の声やニーズを聞かないでいると、現実に対してだんだん無関心になっていく。

将来の進路に直接関わる試験のプレッシャーから解放されてからは、記憶力は年齢とともに、坂を転げるように落ちている。
年をとると、若い頃より記憶には負荷がかかる。低下していく記憶力を動員したいほど、自分自身にとって大事な出来事が特にないと、人は何かを覚えない。
これは認知症のメタファーなのではないかと思っている。老年期の健忘は若いときの解離の裏返しのメカニズムに思える。

若い頃に戻りたいと思う人もいるのだろうが、私自身は少なくともどの学校時代にも戻りたくない。大人でいることは何だかんだで、保護下で不自由な子どもよりはずっと自由だ。
学校時代には聞けなかった、だるい女子高校生の抗議を、いま黙って聞いている。大人になった自分がその声を聴くことが自分自身に対する責任でもあると思うし、後悔が病気の遠因になることを臨床でもたくさん診てきた。もう遅いのかもしれない、しかし過ちを正すのに遅すぎることはない。その二つの間を揺れ動きながら、今日も東京を徘徊している。

知 VS 情・意のレジスタンス

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時々、措置入院の鑑定診察を担当することがある。措置入院は、「精神障害があり、それによる自傷他害のおそれがあると精神保健指定医2名の判断が一致した場合、都道府県知事または政令指定都市の市長からの命令により行われる入院治療」を指す。精神科に通っている人たちが家で暴れてしまったり外で危険な行為をしたりした場合に、警察が間に入ることがある。その際に「精神疾患による症状なのではないか」と判断されると、自治体の保健担当職員を介して精神保健指定医に措置入院の鑑定診察依頼がくる。
夜や深夜に多いのは、境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder; BPD)の人たちの情動の爆発である。女性が多い。家族や友人と口論になり、自分や相手を傷つけようとするそぶりを見せて、相手が警察を呼び、保護される・・・という経緯が多い。
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ロックで読み解く貧困 (2) 子どもの貧困- Suzanne Vega “Luka”

前回は経済的貧困だったけれども、今回は子どもの貧困について書く。支援の貧困と言いかえてもいいかもしれない。

1987年の、スザンヌ・ヴェガの「ルカ」。初めて聴いたときは少し衝撃を受けた。この曲は結構ヒットしたけれども、いわゆる児童虐待がテーマで、当時話題を呼んだ。

僕の名前はルカ
2階に住んでる
あなたの上の階です
前に会ったことあるよ

もし…夜中に何か、ケンカみたいな、もめごとみたいな音が聞こえても
「何があったの?」と聞かないでくださいね
「どうしたの?」と聞かないで
どうか、聞かないで
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ロックで読み解く貧困 (1) – Tracy Chapman “Fast Car”

先日、トレイシー・チャップマンの「ファースト・カー」がラジオから流れてきた。
この曲でうたわれるテーマは、絵に描いたような貧困だ。この曲は若い女性のストーリーである。彼女の交際相手は、スピードの出る車を買った。父はアルコール依存で、飲んだくれてばかりで働かない。母は別の人生を求めてそんな夫と娘を棄てた。彼女は学校を辞めてコンビニで働き、父の世話をしている。彼女はこの町を出さえすれば、新しい人生が開けるのではないかと思い、彼のクルマで町を出ようとを提案する。

彼女は新しい人生への一縷の望みを賭けて、彼にこう迫る。
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拡散するBPD、収縮する摂食障害

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 5年ほど前に、神奈川の作業所から、境界性人格障害(Borderline Personality Disorder ; BPD)の人たち向けの講義をしてくださいと頼まれたことがある。普段はその作業所は摂食障害の人たちが通っているが、BPDと摂食障害の人たち、その家族が主な聴衆で、その中でもBPDの人に向けた講義をお願いします、という依頼だった。
 その時に私が選んだ講義のテーマはなぜか「自分を愛そう!BPD」というタイトルだった。BPDの「わがまま」にも見える行動は自己愛が強いせいと思われることが多いが、私は自己愛が極端に低いせいだと思っている。健全な自己愛を持っていれば、人の関心を惹き続けたり、「私を愛して!」とケアを求め続けたり、見捨てられたと感じて自傷する必要もない。他人の反応は淡々と受け流して、黙々と自分のしたいことをしていればいいし、それができるはずだ。

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