東京都写真美術館の杉本博司展「ロスト・ヒューマン」、ようやっと行けました。感想、長文です。
2 階では、世界の終末を示した33のシナリオを、いつのまにか古物商もやってた杉本の膨大な古物インスタレーションが飾る。色々な立場の人が、「今日、世界 は死んだ。もしかすると昨日かもしれない」という言葉で始める手書きの後悔の告白とともに、戦時中米軍が発行したJap hunting licenseとか、三葉虫の化石とか、ラブドールとか、ハリケーンで浸水した杉本の作品とか、もうありとあらゆる古物が並ぶ。
なんかそれらのシナリオはいちいちB級SFのようで陳腐で滑稽なんだけど、どれかはひょっとすると、なくもないかもしれないと思うわけです。あの不動産王のような言葉を使う人が人気を得て大統領候補になるのがこの世界のリアリティ。
そ の中でも毒ガスマスクをつけて横たわる帝国陸軍の扮装をした人形が印象に残った。撃ちてしやまん的な大日本帝国ワードが並ぶ旗のようなもので包まれてい る。「戦闘ではなく、衝突です」というような空疎な虚言を重ねた果てに、かつては立って話して笑っていた人が、横たわる物体になって帰ってくる世界があ る。そのときもあくまで、「決断の失敗ではなく、悲劇です」と定義されるんだろうな。世界は言葉から病む。世界は言葉から始まったのだから。
3 階の展示は杉本の代表作、劇場シリーズ。今回は、米国の廃墟になった映画館を探して、ゴジラとかローズマリーの赤ちゃんとか博士の異常な愛情とかのディザ スタームービーを上映し、映画一本分の露光で映画館を撮った作品。廃墟映画館を探すのが相当大変だったらしい。廃墟劇場シリーズは2階の喧噪とはうってか わって、静かな終末感。でも何やらすっきりと新しい始まりのような印象もある。
もうひとつ、今回新作として、三十三間堂の仏像群を早朝の光だけで撮った「仏の海」シリーズもあった。全部違う仏のはずなんだけど同じアングルで撮られていて、ほんとにひとつひとつが違う波だけど全体としてひとつの海であるような。
終末の後に涅槃に至り救済されるということらしい。作者の趣向は分かりやすい、でも作者の意図を作品群がちゃんと超えている気がする。断片化した古物、それは後でちゃんと調和した統合に至る。ひとつひとつが違う動きをする波が、ひとつの海をつくるように。
68 歳の杉本は世界は終わると信じて疑わないと言い切るけど、ご本人は新しい能舞台と能作品を作ろうとしてたり、つやつやして元気で、死ななそう。楽観主義者 は楽観でいるために悲観を極めるらしい。なんかその裏腹感といい、世界は滑稽で、それゆえに破れがあって、たぶん完全なユートピアにも悲劇にもしばらく至 らない。閉館ぎりぎりに案外混み合う中展示を観ていた人たちが、陳腐ではない何かを世界にもたらしてくれるといいなと思う。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2565.htm