8月9日

3年前に観たこの映画。「夏の祈り」。

長崎の被爆者の暮らすホームで、見学に来る学生の前で、年に数回演じられる原爆の体験の演劇。高齢 になりほとんど車椅子に座ったきりの人たちがこの日だけは立ち上がって、「あの日」の体験を演じる。脇を若いヘルパーに支えながらでないと歩けないのに、 それでも演じようとする入居者の人たちは鬼気迫るものがありました。

原爆投下直後の長崎で、修道女たちが歌いながら数日を生き延び、死んでいった賛美歌「み母マリア」。

今NHKスペシャル「あの子を訪ねて 長崎 被爆児童の70年」を観ている。去年は「マッハステムの脅威」を観た。爆心地から離れた場所のほうが爆風の威力は大きかったらしい。

戦争は、決して終わらない記憶を心身に刻む。終わらない記憶は、決して書き換わらず、その人たちの中で、現在の時間に並行して流れている。それは時々、現在に侵食して、忘れるなと迫る。

でも、体験した人が誰もいなくなったなら?同じことをまた繰り返すのだろうか?あったことを忘れようとすれば、忘れるなとまた歴史が迫ることになるのだろうか。