絶望と希望;Freedom is Kaori, in Beijing 2022

北京冬季オリンピック、なんだかんだで観てしまっている。東京オリンピックのときはコロナ状況もあって開催時にあんなに絶望的な気持ちになったのに、それを上回る感染状況になっても自国開催でないと純粋な観客になれてしまうのでいい気なものであるとも思う。でももともとオリンピックは冬のほうがずっと好きだし、連日フィギュアスケート、スノーボード、スキージャンプ、カーリングなど、熱さと冷静さがめまぐるしく行き交うコンペティションが繰り広げられていて、つい引き寄せられてしまう。

昨夜の女子フィギュアSP最終滑走の坂本花織の演技が素晴らしかった。普段使わない感情が余っているので、正直泣いた。

2アクセル、3ルッツ、着氷した足からもう次の流れに入っていく、途切れないスピード。当たり前ながら、改めてフィギュアスケートはスケーティングのスポーツなんだなと思い知る。チェンジフットのコンビネーションスピンを終えた後、氷上で止まって肘から両手を開いて、ふっと微笑んだその笑みで、後半の幕が開く。流れるようなスケーティングからの、3フリップ+3トウループのコンビネーションはスピードがあるのに止まって見えるような、そんなジャンプで、着氷からも流れは途切れない。そして圧巻のステップシークエンス。全身から、指先まで躍動感に溢れて、まるで野生動物のような生命感で跳ねて、最後のレイバックスピンに流れ込む。

4年前のアメリ、可憐な少女のような滑りから体のありようも変化して、生き生きとした女性の生命をスケートの中で表現しきった。

ワリエワのドーピング検査陽性問題でフィギュア団体の表彰式は行われないまま、結局個人戦の出場が認められて、紛糾する中で迎えた女子フィギュアショートプログラム。平昌オリンピックに最終組で出場した10代のロシアの選手たちは今回は誰も出場しておらず、それどころかこの2年ほど競技にすら出ていない。19歳だった坂本花織は10代をサバイブして、21歳をまた五輪選手として迎えた。
本来ならジュニアからシニアに入りたてのミドルティーンは背負う実績もプレッシャーも少なく、伸び伸びと滑って跳べるはずなのに、団体戦とSPのワリエワはひとつのミスをしただけで泣きそうな顔で演技を終えた。男子フィギュアの18歳の鍵山優真が無邪気で天真爛漫な滑りで銀メダルになったことと対照的に感じたのだが、ワリエワにとっては最後の五輪という意識なのかもしれない。ジャンプの回転数が注目されがちな近年、次から次へと若い選手が出てきては消えていく。そのことはファンも記者も元選手の解説者やスケーターたちも良くはないこととして指摘しているが、ジャンプが耳目を惹く状況はしばらくは変わらないように思う。
そんな中でのドーピング問題、12月の検体がなぜかオリンピックも始まった2月になって結果が提出されて、本来なら出場が取り消されるところ、スポーツ仲裁裁判所(CAS)の「15歳以下の保護」という名目で、また本人の「祖父が薬を飲んだコップを使った」という言明によって、グレーのまま個人戦の出場が認められることになった。NBCの中継解説を担当したタラ・リピンスキーとジョニー・ウィアーは無言で解説を拒否し、出場への抗議を行ったとのこと。

そういう中でのSP最終滑走。色々な思いはあっただろうけれども、自分の滑りに集中して表現しきった。3アクセルも4回転もないプログラムで、ロシアの3選手に割って入る3位。


音楽は映画「グラディエーター」から、Now We Are Free. 振付を担当したブノワ・リショーのツイート。
“ F R E E D O M
Thank you Kaori, this short program was mesmerizing. You gave me 3 min of total disconnection from reality, you gave me freedom.
Freedom is the oxygen of soul, Freedom is Kaori Sakamoto. ”
「『自由』
ありがとう、花織。ショートプログラムに魅了された。君は3分間、私を完全に現実界から解き放ってくれ、私に自由をくれた。自由は魂の酸素であって、自由とは坂本花織のことだ」
コロナ禍もあって主に振付のやりとりもオンラインで行われたようだが、ツイートに坂本選手からリショー氏に送っただろう最後のステップシークエンスの練習風景の動画が添付されていて、本番と変わらない躍動感の彼女が跳ねている。

4回転を跳びまくるワリエワは強すぎて「絶望」というニックネームがついているが、「ワリエワが絶望なら、坂本花織は希望だ」というTwitterで誰かが言っていて、本当にそのとおりだと思った。圧倒的な力や権威の中で、人間が抵抗している、それも武装した戦いというより、生命の躍動を表現することで。

なんていう誰かのセンチメンタルはどうでもよくて、勝手にかぶせられる国民の期待なんかも気にしないで、フリー頑張って自分の滑りをしてね、花織ちゃん。キス・アンド・クライで見せてくれた、グレイスコーチと川原コーチのうちわ、可愛かったです。