書評」カテゴリーアーカイブ

ひりひりする孤独の、光と熱と「中動態」 – 書評「ギリシャ語の時間」

ハン・ガン「ギリシャ語の時間」(晶文社、斎藤真理子訳)を読んだ。
ソウルを舞台に、遺伝性の病気で視力を失いつつある男と、離婚で子どもを失い声を失った女の運命が交錯する。カルチャーセンターで古典ギリシャ語を教える男は、思春期からドイツで沢山の痛みとともに生育し、数年前にひとり母国に帰国した。韓国語とドイツ語の間で割れてしまった彼の人生。職業として選んだのは、もはや人の間では話されることのない死語、古典ギリシャ語を教えることだった。女は職業と子どもと声を失い、”自分の意志で言語を取り戻したい”と願い、しかし話すことのないまま古典ギリシャ語の教室に無言で通い続ける。

ふたりはそれぞれの痛みを抱えているが、ひとりは外の光を受け取ることができなくなりつつあり、ひとりは自らの音を出すことができなくなっている。それは互いに理解することのない痛みである。しかし、発されないままの痛みはどこかで解放されることを求めていたのかもしれず、互いのことを知らず想像することもないまま、ふたりの運命は突然交錯する。

物語の中で、布石となるのが古典ギリシャ語の活用だったり、単語だったり、詩であったりするのだが、中でも中動態が出てくるくだりがある。
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われら対話のまえにひざまずく-「オープンダイアローグとは何か」

遅ればせながら、斎藤環先生の「オープンダイアローグとは何か」を読みました。

オープンダイアローグのラディカルなところって、究極的には治療ていう目的すら手放すところだと思う。対話という巨大な不確実性の宇宙の中で、クライアント本人、家族、セラピスト全員が平等にコントロールを手放す。

コントロールの欲求、欲望、色気のようなものを手放したときに、思いもしない自由がやってくる。

そういう意味で、ドキュメンタリー映画の中で心理士さんが言っていたように、これは政治の問題であり、デモクラシーなんだ、というのはすごくわかる。
治療というのもひとつの政治的枠組みだから。

でもそれを、生きることの肯定に変容させたい。

も ちろんオープンダイアローグもつきつめれば治療ではあるし、実践上はやはり危機対応みたいになることも多いだろう。あと、やはりこれは統合失調症の場合に 一番適するかなと思う。統合失調症の人たちは語りたい人たちだし、聴くだけでよくなることも市井では多々ある。たとえば引きこもりや依存症や摂食障害のよ うに、自分を知りたい人たちは、少し構造に工夫がいるかもしれない。

けれど、全員が同じ場で各自の身体性を持ち寄って、感情を動かす、そこに愛がある、と言い切る、根底にある哲学は好き。

私 自身事象をコントロールしようとしてしまうことがずっと悩みで、できればすべてのコントロールを手放して、その中から何かほんとうに新しい自由がやってく るような、そんなことをしてみたくて、いったん治療という政治的枠組みから離れてみようと思ったわけですが、結局のところ、まあたぶんそれはほんとうは枠 組みよりも姿勢の問題で。

ほんとうのところ、私たちはみんな、ただ生きたいのです。
たぶん、それだけ。

というようなことを今年は恥ずかしがらずに言って、表現していきたいと思います。
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薄暮のロードマップ― 書評+α「患者から早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?」

 人は誰でも死ぬ。それはいわば卒業のようなものであり、学校に永遠にいられないのと同じく、果てしなく続くように思える日常生活の先に、必ず死というプロセスがある。健康なとき、私たちは普段の生活の中でそれを意識することはほとんどない。しかし治癒が難しい病や加齢などで、必ずそのときは来るのであり、しかもその人にとって必ず初めてであり、そして1度限りの体験である。周囲の家族も含めて、多くの場合不安となり、ただただ困惑することが、ある意味自然な反応であると思う。
 著者は病院でのホスピス勤務を経て現在在宅診療を専門に行っている緩和ケア医であり、数多い看取りを行ってきた、いわば「終末のエキスパート」である。医師であれば一般の生活者よりは、多くの死に立ち会う。多くの科では未だそれは「敗北」、もしくは仕方なく受け入れるものであるが、著者は、いずれやってくる生命の自然な過程としてその時間に寄り添う。
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ときめきに従うこと、従えない病。【書評】人生がときめく片づけの魔法(2)

(つづき)
 この本のタイトルは「人生がときめく片づけの魔法」となっている。こんまり先生が言うには、この方法で片づけを行うと、「人生が変わる」と言い切る。

 私の人生はまだ変わってはいないが、確かに何かを取捨選択する際の判断は早くなったような気がする。「捨てても大丈夫、なんとかなる」という感じは腑に落ちた。そうすると、無駄なものを買わなくなるし、整理する時間が減り、好きなものと過ごせるようになり、探し物に使う時間も減った。
 
 この本のラディカルな点は、こんまり先生の独特な「対モノ観」にあると思う。
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部屋の片づけは人生をかたちづくる。ー【書評】人生がときめく片づけの魔法(1)

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 昨年の私のベスト1。私がたぶん昨年最も影響を受け、実際に行動変容ができた本。
 私自身、ほとんどものごころついてから今までの30年以上、片づけができないことに悩んできた。特に働き始めてからは自分の収入でものが買えるようになったので、あふれかえる本やCD、服、グッズの類があちらこちらにランダムに散らばり、必要なものが普段は使わないものの中に埋もれて探すのに時間を費やすありさま。
 片づけ本も数知れず買った。片づけ界では有名な(笑)「ガラクタ捨てれば自分がみえる」「そうじ力」「捨てる!技術」など。
 しかし読んで一時的に片づけるようになっても、続かない。

 また、困ったことに、精神科の外来にも、「片づけられないが、自分はADHDではないか」という相談が舞い込むのである。今までは全員女性で、「片づけられない女たち」という本がことの発端である。
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