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< 短歌 > 紫陽花

紫陽花の花の造形性って、ちょっと群を抜いていると思います。色彩といい、形といい。

葉は単純なのに、花だけこの色彩と形態のバリエーション。 紫陽花という植物の中に、こんな風に色やかたちを変容していく力があるって、よく考えると不思議だと思いました。 もう梅雨明けもそう遠くなさそう。紫陽花の濡れて立つ艶やかさにも、また来年に会いましょう。

ずぶぬれの日は饒舌に晴れ間には恥じらい黙る紅の紫陽花

紫陽花の青濡れてますます目をみはるほどに青なる水彩のごと

言葉につまるとき – 「説明」と「表現」

どうも私の言葉は伝わらない。どうも私の言いたいことは理解されないらしい。無意識にそう感じるようになったのはいつだろうか。いつしか、人にわかる言葉で語らなければいけないというプレッシャーが強くなった。人にわかる言葉で語らなければいけないと思うと、かえって語れなくなった。言葉を発すること自体にブレーキがかかるようになってしまった。

小学生の頃は誰に見せるでもない文を書いていた。詩とか、散文とか、早熟でどこか偏ったものも多かった気がする。でも誰に見せるわけでもないから、誰かにわかる言葉にしようと努力する必要もなかった。ただ、内側からあふれてくるもやもやっとしたものを自分が美しいと思う言葉に置き換えて、書けばよかった。ワープロもない時代だから自分の字で、自分の手で書きまくった。
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