月別アーカイブ: 2010年8月

宿命と運命と destiny, fate, and life

どうして精神科医になったの?とたぶん今まで数十回は聞かれている。

で、そのたびに違う答えを答えている。
答えがひとつじゃないということもあるけれど、おそらくほんとうの理由が言語化できないからなのではないかと思う。

とりあえず「学生時代の実習で、カルテが一番面白かったから」という理由を答えている。
内科のカルテには大まかな病歴とデータしかないけれど、精神科の患者さんの(特に昔のドクターが書いた)カルテには、その人の人生の記録があった。その人がどこで生まれて、どのように育って、いつどのように病気になったのか、どのように回復してきているのか、ということが逐一書いてあって、まるで物語のようだった。分厚いカルテを、本のページを繰るように、時に心を痛めながら読んだ。

人によっては数十年も入院していることもある。精神科病棟の淀んだ空気の中で、今はちょっとした話すらままならないけれども、その人にもかつては学校に行って友人とはしゃいだり、働いてお給料をもらったり、恋をしたり、という普通の生活があった、ということに何だかしみじみ感じいった。
ごく普通の人生が、どの時点で何をきっかけに変わっていくのか?そしてその後どのようにその運命に対処することができるのか?それに医療者ははたして少しでもできることがあるのか?を、この10年漠然とだけれどずっと考えてきたような気がする。

精神科は大変でしょう、と言われるが、実際は患者さんとして来る人たちは、とてもやさしい人たちである。普通の人が考えるよりもたぶんずっとやさしい。羽のように傷つきやすくて、ただただやさしい。
それでも2回くらい煮詰まって足を洗おうと思い、内科や他の科も回った期間もあるが、精神科の人たちのほうがずっと繊細で医療者にも優しいので、結局戻ってきた。だいたい精神科に来ようという人は自分の精神がおかしいのかも、と思うくらいの人たちなので、ある意味すごく謙虚な人たちである。私のほうがむしろ気づかわれ、励まされたりもする。
とはいえ答えがないものだけに、相談されても答えられることのほうが少なくて、悩むことがもちろん多い。でも医療が生物学的生命だけでなく「人生」といやおうなしに接点を持ってしまう以上、本質的にそういうものだと思っている。

以前確か占い師の人から、「運命と宿命の違いは、宿命は宿るもので、変えられない。どの地でどの親のもとにいつ生まれて育つかが宿命。これは自分では選べない。でもそれ以降の運命は自分で運ぶもの。だから、変えてゆくことができるんです」という言葉を聞いた。
何かこの言葉にいたく感動して、ふとしたときに思い出すことがある。宿命と運命の違いに注意を払わないと、変えられないものを変えようとして、変えられるものを変えられないと思いこむ可能性がある。

私のキャリアの方向性が大きく変わったのは、確実にアルコール依存症の治療にかかわってから。
根はやさしい、情にもろい人たちが、物質依存を契機にまったく崩壊していき、完全に崩壊した中から意外な人が復活していく。薬も精神療法もほとんど効果はなくて、心から自分は変わった、と言った人があっという間にスリップしていく中で、医師としてなにがしかの自尊心を保つのはなかなか大変だった。私は3年しかもたなかったけど、依存症にかかわり続けている先生たちはスゴイと心から思う。
私がかかわった人でほんとうに回復できたのは、幼少時にひどく虐待されていて、スリップし続けてこの人はもうダメだな、と思った人だった。彼はある意味、宿命を運命で克服したのだと思う。「なぜ断酒できたんだと思う?」とあるとき聞いたら、「なんで酒をやめられたのか、俺にもわからないねえ~(^o^)でもコーラで焼き肉でも結構うまいよ!」と絵文字入りのメールが来た。

精神科を選ぶ医師は軽く病んでいる、というのが私の仮説。自分の要素の中に引き合う部分がないと選ばないと思う。生物としての生死にかかわる部分は少ないが、社会的な「生死」(というと大げさすぎるけれども)にはかかわっている。
それは実はすごく境界のあいまいな領域で、心は体と違ってちょっとしたことで大きく病みもすれば、何でもないことで急に回復したりもする。現在のその人の心身の動きがどの方向に向かおうとしているのか、よくよく気をつけて観察する必要があって、ちょっと押してみたり、ちょっと引いてみたり、最適な関係性を常につなぎなおすよう心がけている。そのためには、ある時には薬が必要なこともあり、あるときには休養、あるときには医療に失望されることがかえって力になったりもする。診察室はいわば孵卵器みたいなもので、そういう繊細な関係性の中で、その人に自分の運命を運ぶ力が生まれでてきたらいいなと思う。(それでも自分のちょっとしたコンディションの違いでせっかく築いたものがふっとんだりする。汗。あとやっぱり時間が足りない、とは感じる。これはもう仕方ないけれど)。

医師になったのも精神科を選んだのも私の宿命ではなくて運命で、いやおうなしになったのではなくてやっぱり自分で選んだといえる。
だから基本的に自分も宿命を運命で克服し続けたいと思っている。患者さんたちに比べたらまったく楽々な人生をぬくぬく送っているので、その姿勢くらいは保ち続けようとしなければ、もっと大きな障害を克服しようとしている人たちにとって、なにがしかの力になれないように思う。言葉だけならきれいごとになってしまうので、行動しつづけていくしかないし、行動できていなければそのフリだけでもし続けたい。これは意地で。

なつのかおり。 Lost in summer’s odour

日本の夏は独特の匂いがすると思う。
草の青臭い匂いと花のような香りが重たい湿度の中に混ざって、ちょっと特異な甘い芳香がこもる。足元からからみついてくるように立ちのぼる、独特の質量があるように思う。
初夏のあたりで少し香りだして、梅雨の中頃から雨の上がったときにはその香りが強くなってきて、ああまた夏が来そうだな、と思うと梅雨が明ける。

数年前の夏にアムステルダムに行ったときに、コンセルトヘボウで夜のコンサートのリハーサルを昼に行っていて、昼のリハには誰でも無料で入れてくれた。確かヤンソンスの指揮のドビュッシーの曲だったと思うのだけど、ホールのすみっこの良くない席で聴いていたのに、音がものすごく軽く広がって空間を響きで何重にも満たすような音がしたので、軽く驚いた覚えがある。

その年の夏は日本に帰ってきてまたクラシックのコンサートに行く機会があった。その時は席が2階席の上のほうだったのだけど、音がステージのレベルで重たくとどまっていて、上まで上がってこない。下のほうでこもって聞こえる気がした。ヨーロッパで聴いた音との違いにちょっと驚いた。

ホールや演目や演奏者など色々なファクターはあるのだと思うが、一番は音を運ぶ空気がまったく違うように感じた。私はクラシック音楽のことは全くわからないけれど、フィンランドで聴いたコンサートも、本当に音が光のように空間を上に昇っていくような感じがして、響きだけで感動した。湿度が低いせいなのかな?と思ったのだけど、これほど違うと、質的にまったく別のもののように思えた。クラシックってやっぱりヨーロッパのものなんだなーとなぜか感心した。ヨーロッパで聴いた音のほうが、格段に美しかった。

でもヨーロッパの夏の空気は軽くきらめいていて美しすぎて、かえって近づきがたいような感じがした。
どちらが好きかと言われると、日本のこの湿って重くて混沌として、暑くて気を失いそうな夏の空気のほうが好きだ。自分が生まれて育って、馴染んで生きている場所だからだろうけれど。
子どもの頃は、この混沌とした夏の香りを「未来の匂い」だと思っていた。混沌の中にあらゆる可能性があって、その中から自分に呼びかけてくる「運命」があって、「鼻を澄ませて」間違わずに嗅ぎ分ければ自分は正しい道に行けるのだとなぜか信じていた。この未来への扉は秘密の花園のように夏の一瞬だけ開いて、秋の気配が来るとぱたっと閉じる、と思っていたので、夏のうちに鍵を見つけないと、といつもなぜかすごく焦っていた。

なのでもうそんなファンタジーを持つべきではなくなった今でも、夏が来ると、何となく息を深く吸い込んで、匂いをかいでしまう。朝の香り、日中の香り、夜は夜の香り、その違いの中に、自分に呼びかけているものがあるんじゃないか、とまだ思ってしまう。自分は今までそれを正しく受けとれてきたのだろうか、と未だに焦れている。そんな妄想で、今日もまた寝不足。

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