なつのかおり。 Lost in summer’s odour

日本の夏は独特の匂いがすると思う。
草の青臭い匂いと花のような香りが重たい湿度の中に混ざって、ちょっと特異な甘い芳香がこもる。足元からからみついてくるように立ちのぼる、独特の質量があるように思う。
初夏のあたりで少し香りだして、梅雨の中頃から雨の上がったときにはその香りが強くなってきて、ああまた夏が来そうだな、と思うと梅雨が明ける。

数年前の夏にアムステルダムに行ったときに、コンセルトヘボウで夜のコンサートのリハーサルを昼に行っていて、昼のリハには誰でも無料で入れてくれた。確かヤンソンスの指揮のドビュッシーの曲だったと思うのだけど、ホールのすみっこの良くない席で聴いていたのに、音がものすごく軽く広がって空間を響きで何重にも満たすような音がしたので、軽く驚いた覚えがある。

その年の夏は日本に帰ってきてまたクラシックのコンサートに行く機会があった。その時は席が2階席の上のほうだったのだけど、音がステージのレベルで重たくとどまっていて、上まで上がってこない。下のほうでこもって聞こえる気がした。ヨーロッパで聴いた音との違いにちょっと驚いた。

ホールや演目や演奏者など色々なファクターはあるのだと思うが、一番は音を運ぶ空気がまったく違うように感じた。私はクラシック音楽のことは全くわからないけれど、フィンランドで聴いたコンサートも、本当に音が光のように空間を上に昇っていくような感じがして、響きだけで感動した。湿度が低いせいなのかな?と思ったのだけど、これほど違うと、質的にまったく別のもののように思えた。クラシックってやっぱりヨーロッパのものなんだなーとなぜか感心した。ヨーロッパで聴いた音のほうが、格段に美しかった。

でもヨーロッパの夏の空気は軽くきらめいていて美しすぎて、かえって近づきがたいような感じがした。
どちらが好きかと言われると、日本のこの湿って重くて混沌として、暑くて気を失いそうな夏の空気のほうが好きだ。自分が生まれて育って、馴染んで生きている場所だからだろうけれど。
子どもの頃は、この混沌とした夏の香りを「未来の匂い」だと思っていた。混沌の中にあらゆる可能性があって、その中から自分に呼びかけてくる「運命」があって、「鼻を澄ませて」間違わずに嗅ぎ分ければ自分は正しい道に行けるのだとなぜか信じていた。この未来への扉は秘密の花園のように夏の一瞬だけ開いて、秋の気配が来るとぱたっと閉じる、と思っていたので、夏のうちに鍵を見つけないと、といつもなぜかすごく焦っていた。

なのでもうそんなファンタジーを持つべきではなくなった今でも、夏が来ると、何となく息を深く吸い込んで、匂いをかいでしまう。朝の香り、日中の香り、夜は夜の香り、その違いの中に、自分に呼びかけているものがあるんじゃないか、とまだ思ってしまう。自分は今までそれを正しく受けとれてきたのだろうか、と未だに焦れている。そんな妄想で、今日もまた寝不足。

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