今日も夏の空は青くて眩しかった。
65年前の今日、広島の空で光った光はどんな風にその空を灼き尽くしたのだろう。今朝降り立った駅で朝 8時15分に胸騒ぎがした。今年は初めてアメリカの駐日大使と国連事務総長、英仏の代表が平和祈念式典に出席したとのことだが、なぜ65回目の今年なのだろう。その意味ってどのようなものなのだろうか。
2年ほど前の新聞で、太平洋戦争のときに家族を空襲で失った市民のグループが、空襲を行ったB29のパイロットに話を聞く機会を設けた、という記事を読んだことがある。空襲の被害に遭った女性からの聞き書きだった。記憶だけれども、こんなような内容だった。
アメリカからやってきた元パイロットは、思ったのと違って、優しい青い目をした人だった。自分とあまり年が変わらなかった。彼もまた、あの時少年を少し脱した程度の若者だったろうと思われた。彼はB29に乗って飛び立った日の状況を、淡々と語り出した。あの日のことが思い浮かんで、何の気なしにこう言った。
「あなたはあの日、あの空の上にいて、私たちは、空の下にいたのですね」
その途端、今まで穏やかに話していた彼は急に泣き崩れて、それ以上話を続けられなくなってしまったのです。
空襲の日、同じ空の上と下で、人々は分かれて出会った。地上から上を見上げた「私たち」と、空から下を見下ろした「彼ら」の視線は、根拠のあいまいな憎しみとおそれとともに、空の途中で出会った。
いや、たぶん出会ったようでいて、ほんとうは出会っていなかったのだろう。ほんとうに出会っていたら、こんなことにはならなかったのだと思う。
空を自在に飛べる技術があったとしても、自由とは限らない。
出会っているようでいて、ほんとうは出会わないまま通り過ぎることがなんて多いのだろう。
運命や縁が絶えず私たちの出会いをつなぐけれども、私たちは目を伏せたまま出会ったふりをして通り過ぎる。
一時期色々な年齢層、社会的階層、文化圏の人たちに出会って対応し続けることに疲れて、なるべく人と出会わないように仕事も減らして引きこもろうとしたことがあった。しかし人生はそれを許してくれないようで、遠慮なく次々にまた縁がやってきた。
そして今も否応なく出会い続けている。戸惑いながらも、出会ってしまうと相互作用が起こり、化学反応のように連鎖していく。違う人々と出会う中で、写し鏡のように、知らなかった自分の部分とも引き合わされ、また互いの間に何かが生まれていく。縁は織物のようだ。
空を見ながら、私たちは違う場所で違う時間の中にいても、同じ空を見ることができる、ということを思い出す。
子どもの頃、空を眺めながら感じた、自由への憧れと渇望感はたぶん今もあまり変わっていない。自分で肯定できるほど、自由だとはまだ思えない。
けれどどうせ否応なしに出会い、関係が生まれ続けるのであれば、生まれた場所や育った環境や今いる状況や人種や文化やさまざまな属性と制限とを超えて、人々と、「質」の中で、ほんとうに出会いたいと、切に願う。
同じ空を見ているなら、そこに何か善きものをともに描いて織りなしていきたいと、思う。そして、まだか弱い芽こちら。だけれども、美しい花を咲かせるような何かが今、発芽しているのも感じている。
と、今日も昼に夜に空を見上げて、そんなことを思ったりもする。たわいもない夏の日でした。
明日よりスイスのDornachに行ってきます。場所はこちら。
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