今は自分のこれまでの来し方を振り返る時期に入っていて、振り返ろうとしているわけでもないのに成り行き上、振り返らざるを得ない感じになっている。
自分について知ることは、常に痛みを伴う。良し悪しに関わらず、自分の内部の中にいかに多く、これまでいた社会の枠組みの価値観とか、周囲の人の信念などが入り込んでいることに痛切に気がつかされている。
自分自身としては適当に社会の最低限の規範に従いながら、その中でも自分自身が自分が善いと思う価値からなされている仕事や活動を探して、そういうものに関わりたいと思ってきた。
決して社会の偏見や先入観、無力感とか冷笑におもねってきたつもりはなかったのだけれど、それでもそれらは意識の中になかったあるいは持たないように努めてきたというだけで、無意識はほぼそういうものでできていて、そういうものに従って行動してしまっていた。
意識の中にあるものは、自分で気づくことができる。しかし無意識に沈んでいるものは、咄嗟の行動、あるいは「当然」とか「常識」と自分が思うものとして現れてきて、他者とぶつかってみて初めて、それが自分の中に深く根づいていることを知る。
結果、自分の無意識は大きく、「不信」と「猜疑」でできていることに気づいた。
自分が自分でない異物としてきたもの、自分の根幹がその異物でできていたと気づいた時の驚きと落胆といったら、かなりのショックだ。それはもともと自分自身というより、やはりどこかから、親や親族や文化から、植え付けられたものだと思う。なぜなら私はそういう観念に支配されていたにも関わらず、それが発動するとき、私が痛みを感じていたからだ。
何かそんなに大したことでもないことを言うたびに、「いかがなものか」「世の中はそんなものではない」「みんな我慢している」「普通にした方が得だ」というような反応が自動的に返される環境で、それらを尊重して従った結果、大して良いこともなかったら、不信と猜疑で武装してことに当たるしかなかった。
でも本当はがちがちに心を武装してからでなく、信頼に基づいて、なめらかにのびやかに行動したかったし、何より自分の思ったことを素直に言いたかった。また、不信と猜疑で固めても、信じたいという気持ちは消えずに溜まるから、その反動で、誰か特定の人への無条件の過度な信用や依存、寄りかかりや理想化、といったものを生じてしまう。山岸俊男が安心社会と信頼社会という概念で論じたことを時に応じて思い出す。他者への不信は、安心できる「身内」と判定された者を無条件に信用してしまうことにつながり、そこでまた手酷く裏切られたり傷ついたりする。
最近思うのは、自分というのは案外他者の寄せ集めでできている、ということだ。もういないネアンデルタール人のDNAの断片とか、古代の先人がその当時の意識の限界の中で考えた思想とか、たくさんの無名の人が集合的無意識の中に投げては消えた膨大な思いや感情とか、そういったものの砂のように細かな断片が、私を構成している。
自分というのは、そういうものキュレーションだ。他者から全く独立した確固たる自分がある、いると思ったらおそらく間違いだ。まあそんなことは改めて書くまでもないと言われてしまったらそれまでだが、でも自分というものは、それらの断片どう集めて、配置して、統合して、私自身というコンセプトにするか、そういうものに現れるのだと思う。さまざまな作家の絵を集めてひとつの展覧会にするように、ひとつひとつはどこかからやって来たものでも、結果としてオリジナルなものになっていく。
他者との関係性の中にこそ自分が見えてくる、と言えると思う。「私」や「自分」を外に内に探しても、内にも外にも自分はいないので、案外迷ってしまう。何かに取り組むとき、自分が現れる。
他者との関係や社会との関係の中で苦しく思うなら、その苦しい感覚は大事にした方がいい。それは何かが違うということを示している。
痛みや苦しみに全く意味がないかというと、そんなことはない。それらは自分のあるべき方向に気づかせてくれたり、自分の今の能力を座標のように教えてくれたり、筋トレのように筋力をつけたり、他者への思いやりの力を育ててくれたりする。
しかし何事もバランスで、自分の生命の時間を、痛みや苦しさだけで塗りつぶしてしまうなら、それは本当に自分らしい活動をする力を削いでしまう。自分が奴隷になって苦しみに耐えるばかりなら、他者を思いやることもできないだろう。搾取されている、と感じるなら、やはりそれを甘受し続けることはよくないと思う。自分を殺してしまうし、そうすると他者の中に自分が知らず知らず与えたものもまた、死んでいってしまう。
自分が他者の寄せ集めであるように、知らず知らず、好むと好まざるに関わらず、自分の断片もまた他者の中に生きている。自分さえ我慢すればと思うとき、そのことを思い出す必要があるように思った。