投稿者「Mahiru」のアーカイブ

traffic goes on, as usual, unchanged.

小学5年のとき引っ越してから、転校したくなくて電車通学になったので、子どもの頃から電車やバスは乗りなれている。地下鉄で通うようになってまっさきに行ったのは、神保町の三省堂と銀座の山野楽器で、家にも学校の近くにもない本とレコードを買った。電車は、私の物質的、精神的な自由を大きく広げてくれた。
中学高校も電車通学だったので、一時期は地下鉄路線図はすべて頭に入っていた。路線図をみると都市の血管のようだ。止まればたちまちあちこちの臓器が虚血に陥るように、都市の活動が停滞する。制服できびきびと運行を守る駅員さんたちは好ましく見えた。

今もかけもちで仕事をしているので、やはり電車での移動が多い。昼の時間はほとんど移動している。

そんな移動好きな血のせいか、縁あって交通系の会社で相談をするようになった。
ややレアな職種の相談をやってみて気がついたのが、やはり交通はちょっとレアな職種だなーということだった。
まず、勤務の時間が、少なくとも現場ではシフト制なので、3勤1休とか、ちょっと特殊なリズムになっている。シフト制の職場は色々あると思うけれども、職員さんたちの多くはそれに慣れているので、普通に日勤のほうがしんどかったり、通勤ラッシュにあたるので大変だったりする。
また、チームワークがとても重要なので、仲間意識がとても強い。特に電車の場合、始発から運行を守るには、かなり助け合う必要がある。毎晩、泊まり込んで朝から互いに声をかけあっているのである。
私は最初、遅延した時などの乗客からのクレーム等で大変だろうな、それでうつになったりするのかな?と思っていたのだが、案外そういうことは今までほとんどなかった。クレームが多すぎて慣れるのかもしれないがそれにしても、「お客様対応」という言葉は職員さんたちの無意識レベルまでしみ込んでいるかのようで、乗客へはどのようなことがあっても最優先で対応する、ということは疑問なく体が動くようである。むしろずっと一緒に働く仲間うちでのトラブルのほうが、ずっと大きいストレス源になるようだ。

何よりも、交通系の職員の人の至上命題は、「安全に運行すること」と「ダイヤを維持すること」だ。
つまり、「何事もなく変わらない」ことが彼らにとって最善なことなのである。何か不測の事態が起きれば、それを最善の努力を尽くして元に戻すことが、彼らの職業上の倫理なのである。
日本の鉄道のダイヤは世界一正確だとよく言われる。パリに行ったとき目撃して驚いたのは、地下鉄の運転台に何人か運転士の友達みたいな人が乗ってふざけあっていて、運転士が台に足をのせて片手で運転していたことだった。まず日本ならありえない(パリでもありえないことなのかもしれないけど)。日本の鉄道は、運転台が見えること(外国ではプライバシーを理由に目隠しのカーテンが引かれているところが多いらしい)と、職員の人がきちんと制服を着て指差し確認などをしている姿が、「職業意識が高く好ましい」と世界の鉄道ファンにも人気、と何かで読んだことがある。
もう15年も経つけれども、地下鉄サリン事件の時の営団地下鉄の職員の方々の文字通りの献身を思い出す。今も時々、「アンダーグラウンド」を読み返したりもする。

これだけ変化が要求される世の中で、「変わらない」ということにこれだけ努力している人たちがいて、その上で自分たちの生活が守られているのだなーということに何となく感銘を受ける。
もちろん接客だって過去よりずっと丁寧になったし、自動改札になったりSUICAが導入されたり、時代の変化に合わせて否応なく変わっていっている部分もある。しかし、機械のように世界一正確な日本のダイヤは、泊り込んだ職員さんたちが朝互いをきちんと起こしてみそ汁をつくったり、といったアナログな努力によって始発から保たれているのである。その結果として、私たちは今日も普通に仕事に行ったり遊びに行ったりできるのである。

というわけで今日も電車が動いていることに感謝いたします☆

Sky high, over us. – 6 Aug

今日も夏の空は青くて眩しかった。

65年前の今日、広島の空で光った光はどんな風にその空を灼き尽くしたのだろう。今朝降り立った駅で朝 8時15分に胸騒ぎがした。今年は初めてアメリカの駐日大使と国連事務総長、英仏の代表が平和祈念式典に出席したとのことだが、なぜ65回目の今年なのだろう。その意味ってどのようなものなのだろうか。

2年ほど前の新聞で、太平洋戦争のときに家族を空襲で失った市民のグループが、空襲を行ったB29のパイロットに話を聞く機会を設けた、という記事を読んだことがある。空襲の被害に遭った女性からの聞き書きだった。記憶だけれども、こんなような内容だった。
アメリカからやってきた元パイロットは、思ったのと違って、優しい青い目をした人だった。自分とあまり年が変わらなかった。彼もまた、あの時少年を少し脱した程度の若者だったろうと思われた。彼はB29に乗って飛び立った日の状況を、淡々と語り出した。あの日のことが思い浮かんで、何の気なしにこう言った。
「あなたはあの日、あの空の上にいて、私たちは、空の下にいたのですね」
その途端、今まで穏やかに話していた彼は急に泣き崩れて、それ以上話を続けられなくなってしまったのです。

空襲の日、同じ空の上と下で、人々は分かれて出会った。地上から上を見上げた「私たち」と、空から下を見下ろした「彼ら」の視線は、根拠のあいまいな憎しみとおそれとともに、空の途中で出会った。
いや、たぶん出会ったようでいて、ほんとうは出会っていなかったのだろう。ほんとうに出会っていたら、こんなことにはならなかったのだと思う。
空を自在に飛べる技術があったとしても、自由とは限らない。

出会っているようでいて、ほんとうは出会わないまま通り過ぎることがなんて多いのだろう。
運命や縁が絶えず私たちの出会いをつなぐけれども、私たちは目を伏せたまま出会ったふりをして通り過ぎる。

一時期色々な年齢層、社会的階層、文化圏の人たちに出会って対応し続けることに疲れて、なるべく人と出会わないように仕事も減らして引きこもろうとしたことがあった。しかし人生はそれを許してくれないようで、遠慮なく次々にまた縁がやってきた。
そして今も否応なく出会い続けている。戸惑いながらも、出会ってしまうと相互作用が起こり、化学反応のように連鎖していく。違う人々と出会う中で、写し鏡のように、知らなかった自分の部分とも引き合わされ、また互いの間に何かが生まれていく。縁は織物のようだ。

空を見ながら、私たちは違う場所で違う時間の中にいても、同じ空を見ることができる、ということを思い出す。

子どもの頃、空を眺めながら感じた、自由への憧れと渇望感はたぶん今もあまり変わっていない。自分で肯定できるほど、自由だとはまだ思えない。
けれどどうせ否応なしに出会い、関係が生まれ続けるのであれば、生まれた場所や育った環境や今いる状況や人種や文化やさまざまな属性と制限とを超えて、人々と、「質」の中で、ほんとうに出会いたいと、切に願う。
同じ空を見ているなら、そこに何か善きものをともに描いて織りなしていきたいと、思う。そして、まだか弱い芽こちら。だけれども、美しい花を咲かせるような何かが今、発芽しているのも感じている。

と、今日も昼に夜に空を見上げて、そんなことを思ったりもする。たわいもない夏の日でした。
明日よりスイスのDornachに行ってきます。場所はこちら。

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宿命と運命と destiny, fate, and life

どうして精神科医になったの?とたぶん今まで数十回は聞かれている。

で、そのたびに違う答えを答えている。
答えがひとつじゃないということもあるけれど、おそらくほんとうの理由が言語化できないからなのではないかと思う。

とりあえず「学生時代の実習で、カルテが一番面白かったから」という理由を答えている。
内科のカルテには大まかな病歴とデータしかないけれど、精神科の患者さんの(特に昔のドクターが書いた)カルテには、その人の人生の記録があった。その人がどこで生まれて、どのように育って、いつどのように病気になったのか、どのように回復してきているのか、ということが逐一書いてあって、まるで物語のようだった。分厚いカルテを、本のページを繰るように、時に心を痛めながら読んだ。

人によっては数十年も入院していることもある。精神科病棟の淀んだ空気の中で、今はちょっとした話すらままならないけれども、その人にもかつては学校に行って友人とはしゃいだり、働いてお給料をもらったり、恋をしたり、という普通の生活があった、ということに何だかしみじみ感じいった。
ごく普通の人生が、どの時点で何をきっかけに変わっていくのか?そしてその後どのようにその運命に対処することができるのか?それに医療者ははたして少しでもできることがあるのか?を、この10年漠然とだけれどずっと考えてきたような気がする。

精神科は大変でしょう、と言われるが、実際は患者さんとして来る人たちは、とてもやさしい人たちである。普通の人が考えるよりもたぶんずっとやさしい。羽のように傷つきやすくて、ただただやさしい。
それでも2回くらい煮詰まって足を洗おうと思い、内科や他の科も回った期間もあるが、精神科の人たちのほうがずっと繊細で医療者にも優しいので、結局戻ってきた。だいたい精神科に来ようという人は自分の精神がおかしいのかも、と思うくらいの人たちなので、ある意味すごく謙虚な人たちである。私のほうがむしろ気づかわれ、励まされたりもする。
とはいえ答えがないものだけに、相談されても答えられることのほうが少なくて、悩むことがもちろん多い。でも医療が生物学的生命だけでなく「人生」といやおうなしに接点を持ってしまう以上、本質的にそういうものだと思っている。

以前確か占い師の人から、「運命と宿命の違いは、宿命は宿るもので、変えられない。どの地でどの親のもとにいつ生まれて育つかが宿命。これは自分では選べない。でもそれ以降の運命は自分で運ぶもの。だから、変えてゆくことができるんです」という言葉を聞いた。
何かこの言葉にいたく感動して、ふとしたときに思い出すことがある。宿命と運命の違いに注意を払わないと、変えられないものを変えようとして、変えられるものを変えられないと思いこむ可能性がある。

私のキャリアの方向性が大きく変わったのは、確実にアルコール依存症の治療にかかわってから。
根はやさしい、情にもろい人たちが、物質依存を契機にまったく崩壊していき、完全に崩壊した中から意外な人が復活していく。薬も精神療法もほとんど効果はなくて、心から自分は変わった、と言った人があっという間にスリップしていく中で、医師としてなにがしかの自尊心を保つのはなかなか大変だった。私は3年しかもたなかったけど、依存症にかかわり続けている先生たちはスゴイと心から思う。
私がかかわった人でほんとうに回復できたのは、幼少時にひどく虐待されていて、スリップし続けてこの人はもうダメだな、と思った人だった。彼はある意味、宿命を運命で克服したのだと思う。「なぜ断酒できたんだと思う?」とあるとき聞いたら、「なんで酒をやめられたのか、俺にもわからないねえ~(^o^)でもコーラで焼き肉でも結構うまいよ!」と絵文字入りのメールが来た。

精神科を選ぶ医師は軽く病んでいる、というのが私の仮説。自分の要素の中に引き合う部分がないと選ばないと思う。生物としての生死にかかわる部分は少ないが、社会的な「生死」(というと大げさすぎるけれども)にはかかわっている。
それは実はすごく境界のあいまいな領域で、心は体と違ってちょっとしたことで大きく病みもすれば、何でもないことで急に回復したりもする。現在のその人の心身の動きがどの方向に向かおうとしているのか、よくよく気をつけて観察する必要があって、ちょっと押してみたり、ちょっと引いてみたり、最適な関係性を常につなぎなおすよう心がけている。そのためには、ある時には薬が必要なこともあり、あるときには休養、あるときには医療に失望されることがかえって力になったりもする。診察室はいわば孵卵器みたいなもので、そういう繊細な関係性の中で、その人に自分の運命を運ぶ力が生まれでてきたらいいなと思う。(それでも自分のちょっとしたコンディションの違いでせっかく築いたものがふっとんだりする。汗。あとやっぱり時間が足りない、とは感じる。これはもう仕方ないけれど)。

医師になったのも精神科を選んだのも私の宿命ではなくて運命で、いやおうなしになったのではなくてやっぱり自分で選んだといえる。
だから基本的に自分も宿命を運命で克服し続けたいと思っている。患者さんたちに比べたらまったく楽々な人生をぬくぬく送っているので、その姿勢くらいは保ち続けようとしなければ、もっと大きな障害を克服しようとしている人たちにとって、なにがしかの力になれないように思う。言葉だけならきれいごとになってしまうので、行動しつづけていくしかないし、行動できていなければそのフリだけでもし続けたい。これは意地で。

なつのかおり。 Lost in summer’s odour

日本の夏は独特の匂いがすると思う。
草の青臭い匂いと花のような香りが重たい湿度の中に混ざって、ちょっと特異な甘い芳香がこもる。足元からからみついてくるように立ちのぼる、独特の質量があるように思う。
初夏のあたりで少し香りだして、梅雨の中頃から雨の上がったときにはその香りが強くなってきて、ああまた夏が来そうだな、と思うと梅雨が明ける。

数年前の夏にアムステルダムに行ったときに、コンセルトヘボウで夜のコンサートのリハーサルを昼に行っていて、昼のリハには誰でも無料で入れてくれた。確かヤンソンスの指揮のドビュッシーの曲だったと思うのだけど、ホールのすみっこの良くない席で聴いていたのに、音がものすごく軽く広がって空間を響きで何重にも満たすような音がしたので、軽く驚いた覚えがある。

その年の夏は日本に帰ってきてまたクラシックのコンサートに行く機会があった。その時は席が2階席の上のほうだったのだけど、音がステージのレベルで重たくとどまっていて、上まで上がってこない。下のほうでこもって聞こえる気がした。ヨーロッパで聴いた音との違いにちょっと驚いた。

ホールや演目や演奏者など色々なファクターはあるのだと思うが、一番は音を運ぶ空気がまったく違うように感じた。私はクラシック音楽のことは全くわからないけれど、フィンランドで聴いたコンサートも、本当に音が光のように空間を上に昇っていくような感じがして、響きだけで感動した。湿度が低いせいなのかな?と思ったのだけど、これほど違うと、質的にまったく別のもののように思えた。クラシックってやっぱりヨーロッパのものなんだなーとなぜか感心した。ヨーロッパで聴いた音のほうが、格段に美しかった。

でもヨーロッパの夏の空気は軽くきらめいていて美しすぎて、かえって近づきがたいような感じがした。
どちらが好きかと言われると、日本のこの湿って重くて混沌として、暑くて気を失いそうな夏の空気のほうが好きだ。自分が生まれて育って、馴染んで生きている場所だからだろうけれど。
子どもの頃は、この混沌とした夏の香りを「未来の匂い」だと思っていた。混沌の中にあらゆる可能性があって、その中から自分に呼びかけてくる「運命」があって、「鼻を澄ませて」間違わずに嗅ぎ分ければ自分は正しい道に行けるのだとなぜか信じていた。この未来への扉は秘密の花園のように夏の一瞬だけ開いて、秋の気配が来るとぱたっと閉じる、と思っていたので、夏のうちに鍵を見つけないと、といつもなぜかすごく焦っていた。

なのでもうそんなファンタジーを持つべきではなくなった今でも、夏が来ると、何となく息を深く吸い込んで、匂いをかいでしまう。朝の香り、日中の香り、夜は夜の香り、その違いの中に、自分に呼びかけているものがあるんじゃないか、とまだ思ってしまう。自分は今までそれを正しく受けとれてきたのだろうか、と未だに焦れている。そんな妄想で、今日もまた寝不足。

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Listen to your own inner voice, as Steve said.

ここのところの暑さのせいか、眠れないのが板についてしまったので、ブログ更新。

自分の中の声を聴くというのはなかなか難しい作業であるなーと、最近あらためて思ったりします。
人の話を聴くことについては、以前より少しはまともにになってきたなあと、自分では思っているのですが(でもそれは本当にここ1-2か月の話で、前はひどかったです・・・反省)、自分のほうが案外難しい。
自分の中の声は、自分の色々な不安や勝手な願望やエゴが入ってきたりするので、「望み」ひとつとっても、不安やエゴや自己防衛が動機づけているものなのか、それともそれらと関係なく本質的なところから来るものなのか、それをやってみて痛い目にあってみないとなかなかわかりません。

人生は痛みや苦しみに取り組むことでバージョンアップしていくものではあるけれど、できたらなるべく痛くなくしたい、というのも本音ではあります。

で、自分の中の声がわからなくなったとき、痛みの意味がわからなくなったときに、そんなときにあらためて観てみる、Steve Jobsのスピーチ。2005年のStanford大学の卒業式でのものです。
翻訳はこのサイトから引用。たくさんコピペしてしまってすみません。
スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)
http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html

これから3つの話をします。たった3つです。と彼は始めます。

1.点と点をつなぐ(connecting the dots)

生まれたとき養子に出された話と、大学の中退を決断したときの話。
中退したあと、Steveはもう必修は出なくていい、好きなクラスにもぐりこむと決め、カリグラフィのクラスに入ります。一見無駄とも思えるこの選択が、あとでAppleの洗練されたフォントの開発につながったという話。

「もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。」

2.愛と喪失について(love and loss)

Steveは20歳から始めたAppleを30歳で一度クビになっています(利益を追求した経営陣がSteveのやり方は合理的でないと考えたからです。)
しかしこの5年の期間に彼はpixerを立ち上げ、自分のクリエイションをもう一度再開します。それはひとえに自分のやっていることが好きだったからできたのだと。

「その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。」

「私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。」

3.死について(About death)

17歳のときから「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」という問いかけを毎日してきた、という話と、すい臓がんと診断されたときの話。

「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。」

「君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。」

この部分を彼はこう締めます。

「君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。」

最後に彼が締めくくった言葉。

Stay hungry, stay foolish.

彼のスピーチは失うこと、捨てることがどれほど次の豊饒さを生むか、を示しています。でもそこでくじけないために、自分のやっていることが本当に好きである必要があると。
そして一見関係ない、無駄に思えることでもつなげていくことでそれが次の創造につながっていくということを示しています。この一見無関係なことをつなげること、挫折を次の創造に変えていく力が、「自分」とか「自己」の真のはたらきなんじゃないかと思います。そのためには自分の中のinner voiceに耳を傾け続けること。ドグマからはfoolishに見え続けるとしても。

以下、翻訳つきyoutube。

原文はこちら

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