Memento mori(4) – 死をおもうとき。

 10/5にApple 創業者Steve Jobsが亡くなった。56歳という年齢はいかにも早すぎる。文字通り、世界において誰も持たなかった想像力を持ち、また世界の中でその想像力を具現化していく力のある人だったと思う。

訃報を聞いたとき、ネットでよくあるデマかと思ってしまった。かなり進行した膵臓がんとは言われていたけど、これほどのセレブリティなら世界で最高の医療を受けているはずだし、不可能を可能にし続けるこの人なら死なないんじゃないかとどこかで思っていた。

でもJobsは亡くなった。AppleのCEOを降りてからわずか1ヶ月半、彼の想像力の中でまだ世界でなしえなかったことはいくつあったのだろう。

なんだか今年は、震災以来、急な訃報が続く気がするのは気のせいだろうか?

最近、死についてよく考える。 震災はひとつのきっかけだったと思う。 2011年3月11日、2万人近くの人たちがこの1日のうちにこの世を去っていってしまった。

医療の中でも、内科や外科に比べると、精神科医の仕事は、比較的、実際の死からは遠い。 起こるとしたら自殺というかたちで、それは私は幸いなことにごく少数しか経験がないけれども、起こったときには溶けきれない澱のように、虚しさが手の届かない心の底にたまる。患者さんから「死にたい」という言葉を聞く機会は多くある。でも、それは「生きているのが辛い」という意味であって、実際の死を欲しているわけではほんとうはないのだと思う。

私が研修医で救急部のローテートをしているときに、20代後半の女性が過量服薬による自殺企図で搬送されてきた。有名な私立大学を出て、大きな企業に勤めて2年くらいになる人だった。特に、今まで精神科への通院歴もなく、搬送される前もまったく変わった様子はなかったと家族は言っていた。市販の風邪薬を大量に飲んでいたが、幸い生命には別状はなく、数時間して意識を回復した。

「今、助かってよかったという気持ちですか?それとも生き残ってしまって残念という気持ちですか?」と私はICUで目を覚ました彼女に聞いてみた。 当時は、自殺未遂から一命をとりとめた人への私の最初の質問は、なぜかいつもこれだった。

「うーん、何ともいえませんね」だいたい患者さんから返ってくる答えも同じだった。

今思えば、意識を吹き返した直後に、助かったことがよかったとか悪かったとか評価できるはずもない。軽い身体的、精神的ショックが続いている中で、ぼんやり今この瞬間の状態を感じていることしか患者さんにはできなかったと思う。 痛いところや苦しいところはないか、というようなごく当たり前の会話を交わしたあと、彼女は再び目を閉じた。

1日立って、状態も落ち着き、彼女はたくさんのモニターの明滅するICUのベッドから、個室へと移ることができた。日中の回診のときに、あの、先生とお話ししたいことがあります、と彼女は言った。 仕事が落ち着いてから夜、彼女のベッドサイドに行った。彼女ははにかんだ笑顔を浮かべて、語り始めた。

「私はなんとなく大学に言って、親とか周りが言うように就職を決めて、なんとなく勤めはじめました。そういうものだと思っていた、というか考えもしなかった。でも、今となってはそれがよかったのかどうか、わからなくなっちゃいました。自分はもっと役に立つことをしたほうがよかったのではないかと、人の役に立てているのだろうかと、だんだん疑問になってきて・・・これだったら死んだほうがいいんじゃないかと思って、そう決めました。薬局で少しずつ風邪薬を買って、薬を集めました。でも死のうと決めて飲んだのに、死ねなかった」 彼女は淡々と分析するように語った。そしてこのような質問を投げかけてきた。

「先生、生きている意味ってあると思いますか?」

私は当時卒後2年目の駆け出しで、少しずつ仕事に慣れて、ちょっと鼻持ちならない自信も出てきていた。彼女からこのような質問を投げかけられることに、答えることの重さよりもむしろちょっと誇らしさのほうが勝った。そして、自分なりに考えて、このように答えた。 「私自身は、生きていることに意味なんてないと思います。私たちは単なる生物です。私たちは、生き物として、ただ生きているのです。だからどのように生きなければならないなんてことはないと思います。」

それを聞いた彼女の顔は、ぱっと輝いた。 「そっか、生きていることに別段意味なんてないんですよね。なんだか楽になりました。」 もう少しだけ話しているうちに、消灯の時間が来て、おやすみなさい、と言ってベッドサイドを去った。翌日、笑顔でお礼を言って、彼女は退院していった。

彼女は私が同年代だったり、女性だったり、彼女自身の生に対する考えを私が病床で聞いてくれた、ということ自体によって「楽になった」と感じたのであって、私の答えに満足したわけではないと思う。今思い出すと、若さと未熟さの漂う、なんとなく恥ずかしい答えだ。彼女が絶望しないでくれたのは、単に幸運だったに過ぎない。今なら、安易に答えたりせずに彼女と一緒に考えようとするだろう。

今は、生きていることには、必ず意味があると思っている。ただ、それは自分自身や他人が意味づけできるようなレベルの意味ではない。人の役に立つから生きている意味があるとか、そういうものではないと思う。存在しているとか生きているとかいうことは、ジャッジや解釈ができるようなことではない。存在することの意味は、人間が決められるようなことではない、という点では、当時も今も基本的な考えはあまり変わっていないかもしれない。

精神的に辛い状況で心をよぎる死は、ある意味バーチャルな、頭の中で考える「死」である。 実際に風の中でゆらぎながらゆっくり灯が消えていくようなリアルな生命の終わりとはなんだか差があるように思う。

S先生のこの記事が、自分が見た実際の死に一番近い、と思う。人はある瞬間から突然死ぬのではなくて、ちょっと死に近づいたり、また生の方向に触れたりしながら、徐々に死に近づいていく。それは青い光が少しずつ濃く織り混ざりながら徐々に夜に向かう夕暮れのような感じだ。 Dr. Takuyaの心の映像(image)- 人が死ぬとき

急に亡くなるときも、生と死の狭間の時間というのは自覚できるのではないかと思う。いわゆる「臨死体験」では、多くの人に共通に、いわゆる「三途の川」や「お花畑」の映像が見られることが知られている。自殺した人も、死んでみたら全然思ったようじゃなかった、と後悔しているかも、と思う。 死だけじゃなくて、ほんとうは生きているということも、自分たちが思っているのと全然違うことなのかもしれない、と思ったりもする。こう生きなければ生きたことにならない、なんてことはなくて、ただ存在している、ということがほんとうはすごく驚きに満ちたことなのではないだろうか。

精神疾患を病んで社会から距離をおかざるを得ないという状態は、生命は脅かされていなくても、十分に生きている、と思えないかもしれない。「死んでいるような感じ」と表現する人もいる。

でもほんとうは、実際の死から遠いということが、生の実感を薄めているのではないかと思うこともある。

私自身も、まだ30代だし、自分が死ぬかもしれない、と思ったことは今までほとんどなかった。 3歳のとき、麻疹が重症化して、親は「覚悟せよ」と言われたようだが、本人には記憶がない。持病の喘息も幸い死ぬかも、と思うところまで発作が重くなったことはない。 でも震災以降、自分もまた死と生の合間の領域にいて、ちょっと神様に肩を叩かれればその境を超えてしまう可能性もあるんだなと思うようになった。

先月スイスに行ったとき、ミュンヘンからチューリッヒまでのフライトで、着陸の高度に入ろうというときに、軽い爆発音のような音がして、飛行機が急に降下した。そのときはアナウンスもなかったのだが、乗客の多くは「何か起こったかな?」と感じたようだった。結局無事に着陸したのだが、一緒に搭乗していた別の席にいた友人が、「空港に降りるとき窓の外をみたら他の飛行機がすぐ横を並走してたように見えたけど、気のせいかな?」と言ってきた。 何が起こったのか、それとも何も起こらなかったのかはよくわからないが、急降下したときはもしかしてこれは事故なのかも、と一瞬頭をかすめた。 まあこれは私が大げさに感じただけだと思う。けれど、空の上で、自分がもしかしたら、一瞬だけ死の方向に近づいたのかもしれない、とリアルに感じた瞬間だった。ああ、こんな風に簡単に死んじゃうんだったら、誰かが認めてくれるかどうかとは関係なく、言いたいことを言って、やるべきことをやっておきたいな、と思った。

当たり前だが、ひとはみんないつか死を迎える。 死だけは、どの人にも平等に訪れる。時期と、プロセスには違いがあるけれど、いつかどこかの瞬間にやってくることは確実だ。 でも永遠に生き続けることを考えたら、それも苦しいというか、退屈な気がする。 限られた時間だからこそ、生きている時間は輝く。苦しみよりも喜びのほうに意識を向けたいと考える。夜が来るから昼の明るさが明るく感じられる。結局、実感というのは対比されるものがあって初めて成り立つのかなと思う。

「バイセンテニアル・マン」というアイザック・アシモフの古典的なSFがある。

人間を愛し、仕え続けたロボット、アンドリューはその素晴らしい能力と忠義に対して報酬を与えられることになり、自分の外見や中身を人間らしく改造していく。一族に仕え続けた世界最高のロボットとして生誕(製造?)150年を迎え、「セスキセンテニアル・ロボット(150周年のロボット)」として祝福され表彰される。しかしそれは「人間になる」ことを求めていた彼にとっては喜ばしくないことだった。それからさらに50年が過ぎて、彼が法廷に願い出たただひとつの請求、それは「死ぬ権利」だった。さまざまな議論の末、アンドリューは死ぬことを認められた。200歳を迎えた日、自分が仕えた愛する人たちに囲まれて、アンドリューは幸福感の中で死ぬ。そして、ついに「人間」として認められ、「バイセンテニアル・マン(200周年の人)」という称号を得た。

ひとは死ぬからこそ人であり、人になるのかもしれないな、と中学生の頃、薄暗い図書室の廊下でこの短編を立ち読みしながら思った。

少々過激に聴こえるかもしれないが、十分に生きるには、死ぬことについて少し考えてみることが案外役に立つかもしれない。終わりを自覚することは、実は今を尊重するということなのだと思う。終わりを意識していれば、最適な間でものごとができるだろう。 そして常に終わりは、新しい始まりを意味している。自分が死んだ後に生まれた人にも何かが渡されるような、そんなことを為すことができたらとても素敵だろう。

もう無数に出回っているこの伝説のスタンフォード大学卒業式でのスピーチでも、Steve Jobsは死について触れている。

”自分がそう遠くないうちに死ぬと意識しておくことは、私がこれまで重大な選択をする際の最も重要なツールでした。 ほとんどのものごと、外部からの期待、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖、こういったもののすべては死に 臨んでは消えてなくなり、真に重要なことだけが残るからです。自分も死に向かってい るという自覚は、私の知る限り、 何かを失ってしまうかもしれないという思考の落とし穴を避けるための最善の策です。あなた方はすでに丸裸です。 自分の心に従わない理由はありません。”

不遜かもしれないが、私だったら、”Stay Hungry, Stay Foolish” に加えて、最後にこの言葉を付け加える。

”Memento mori.”  死を想え。

いや、Steveはそれをすでに言っているのだし。あえて言うのは無粋なのかもしれないな。

これでこのテーマのBlogのシリーズは終わりです。長文お読みいただきありがとうございました。

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