Memento mori (1) – 休職、復職、転職、天職。

 精神的な不調で、長く仕事を休養することを余儀なくされる人たちがいる。数ヶ月から、場合によっては2−3年にわたり休養する場合がある。
  精神的な不調をきたした原因が主に仕事上のストレスであるとき、思い切ってその仕事をやめるかどうかの判断はとても難しい。やめてしまうと次の仕事がなかなか見つからないのではないか、という不安を、多くの人が持つ。長期休養した後ならなおさらではないか、と多くの人が思う。

 でも思いきって新しい道に行くことにすると、病気がよくなる、ということもある。

 
 ある男性は、慢性的な頭痛で外来に来た。内科で調べたけれどどこも悪くないと言われたという。症状が重くなって、仕事にも支障が出るようになった。
 外来でその人は堰を切ったように話し始めた。ずっと公務員をしていて、県の建築関係の仕事をしていた。しかし自治体で施設の建設にかかわるということは、 その時の知事の方針や予算次第で、本当に必要なのだろうか、と思われる施設を作ったり、また時には、まだ使える施設を政治的な都合で壊したり、ということ でもある。自分でもこれはおかしいと思っているのに、自治体側の担当者として、そのたびに住民に説明をしなければならない。非難の声を浴びせられることも ある。本当はもっと住民の方たちのためになる仕事をしたいのに、自治体では長期的な視野で何かを作る、ということはできない。そういう日々が続くうちに で、慢性的な頭痛に悩まされ、からだがすくむようになってしまったという。
 その人は幸い休養はしなかったが、毎回溢れ出すようにご自身の思いを話した。そのうちに頭痛が少しずつ減っていった。結局彼は、安定した公務員の職を辞めて、建築の耐震診断などを行うNPOに移った。そして数ヶ月で症状はほとんどよくなって、通院終了になった。

 ある会社員の女性は、不眠と体調不良で、会社から受診をすすめられて外来に来た。しばらく治療を行ったが、あまり改善がみられなかった。会社側も比較的楽な部署に異動をさせたりといった対応をしたが、あまり功を奏さず、休職することになった。
 最初オーソドックスな薬物治療をしていたのだけれど、その人の症状はどれほど薬を増やしても、変更しても、ほとんど変化がなかった。1年以上経過して私も 焦るようになったけれども、焦ってももちろんよくなるはずもなく、いたずらに時間だけが過ぎていった。あるとき、何気なく過去にたずさわった業務について 聞いてみたところ、彼女もまた、堰を切ったように話し始めた。
  大手の広告会社に長年勤務していたその人は、それまで数回異動をしたが、芸術に造形が深く、行く先々で色々なアートのプロジェクトの立ち上げや運営に関 わった。彼女が関わるイベントはいつも成功し、収益を上げるということが続き、奇跡の仕掛人と言われていたらしい。イベントのコンセプトの工夫で、集客 を押し上げ、広告でも、出版や別の分野とイベントをコラボさせた広告を打ち、両方に利益をもたらした。 しかし、会社の常で、あるときまったく違う分野に異動させられてしまい、こよなく愛する芸術に関われなくなってしまった。その後異動先での過労もあり、徐々に体調を崩し、仕事に差し支えるようになってしまったという。
 入社時から今までのその人の歴史は、数回にわたってひも解かれていった。そして、彼女も、1回ごとに顔色が明るくなり、体調も薄皮を剥ぐように徐々に安定 していった。効果がないのに多量に飲んでいた薬物は減量していくごとにむしろ改善した。この人の歴史をもっと早く聞いておけばよかったと思った。

 彼女は休職中も、アートに関わる出版社やギャラリーから頼られており、仕事を一緒にやってほしい、と切望されていた。しかし、それだけでは収入がかなり不安定で、専属はちょっと難しいと思っている、とのことだった。
  休職して2年近くが過ぎた頃、会社で早期退職者の募集があった。私は偶然、ネットか何かの記事でそれを目にした。かなりいい条件で、むしろ優秀で残っても らいたい人が殺到してしまっている、というような記事だった。ご本人にそのことを知っていますか?と聞いてみたところ、休んでいる間は会社からも特に連絡 がないので知らなかった、とのことだった。「退職したほうがよいと思っているわけではありませんが、もしほかにやりたいことがあるなら、人事に条件だけでも問い合わせてみてはいかがでしょうか?」と伝えた。
 次の外来で、その人はことの顛末を話してくれた。実は早期退職者の募集は終わってしまっていたが、電話に出た担当者に自分が休職していることを伝えたところ、親身に話を聞いてくれて、上司に頼み、特別な取り計らいをしてくれたという。自分としてもいい条件と思ったので、退職を決めたということだった。
 退職後まもなく、あちこちから声がかかり、彼女はいくつかのアートのイベントのマネージメントを行うことになり、すぐに多忙になった。症状は多少波があるけれども、薬を大量に服用していたときより遥かに改善して、すっかり売れっ子のように生活されている。

 この方たちは思いきって退職して、自分が希望する新しい生活に乗り換えた。そこではまた新たな苦労もあるけれども、仕事を変わってよかった、と語ってくれた。

 一方で、退職せずに「粘り勝った」人もいる。ある公務員の女性は、希望の部署でばりばり働いていた。しかし、不本意な異動を機に、やはり不眠や気持ちの落ち込み、体調不良が出現し、休職することになった。
 その人の復職はなかなか上手くいかなかった。頑張って出勤しても、3ヶ月ほどすると体調が悪くなり、また休まざるを得なくなる。その人は前の職場に戻りた がっていたのだが、特に公務員の場合は、基本的には現在の部署で安定して出勤ができないと、異動の希望がみとめられないことが多い。また、公務員はポストの定員があるので、本人の希望での異動はなかなか実現しないことが多い。私は、公務員は常に異動があるので、現職場に慣れるということを目指したほうがいいのではないかと思っていたのだけれど、その人はどうしても前職に戻りたい、という思いをもっていた。そのうちに、現職場の人たちの協力もあり、何度か休みつつも、徐々に徐々に継続的に出勤できるようになっていった。ご本人も周囲の職場の人たちの善意に感謝して、薬も減量し、頑張った。
 そして年度代わりに、その人の念願がかなって、前職場への異動の辞令が出た。彼女の喜びようを見て、私ははりきり過ぎているのではないかと心配になったけれども、それは杞憂で、見違えるように元気に勤務している。

 1番目の人は、自分の理想のために生きることを決めた。2番目の人は、その人が最も愛するアートから、呼びもどされた。3番目の人は、周囲の声に迷いつつも自分の希望を持ち続けた結果、前例のない異動を引き寄せた。
  この人たちは幸運だったけれど、共通するのは、3人ともご自身の願いがはっきりしていた、ということだと思う。体調や気力が回復せずに暗中模索していた間 もずっと、自分はこれが好きだ、もしくはこうでありたい、ということを思い続けていたのではないだろうかと推測する。願いと希望をあきらめずに持ち続ける ことそのものが、いくつかの偶然を引き寄せ、患者さんたちの願いをかなえたのではないかと思う。
 私の主治医としての方針は、まったくの右往左往で、薬を変えたり増やしたり、激励してみたり注意してみたり、振り返ると常に混乱していて恥ずかしい。でも、今これらの経験を経て、結局は患者さんの希望や意欲に沿うということが、最短で最良の道だと思うようになった。
 この人たちは強い気持ちで自分の希望をかなえることができた。しかし、たとえ希望がかなわなくても、一生懸命努力したこと、そしてその希望を他者が理解し応援してくれたこと、その経験そのものが、その人を勇気づけるのだと思う。

 何年か前から、こころの病気から回復するためには、その病気がその人の人生全体からみてどういう意味をがあるのか、ということを考えたほうがいいのではと思うようになった。 病 気はある意味、ちょっと立ち止まって方向を修正したほうがいいよ、というからだからのサインでもある。でもその人がどうすればよいのか、ということは、実 はその人自身しか発見することができない。主治医や家族は、その人が決めた選択に、私もそう思う、とか、私はそうは思わない、と意見を示すことはできる。 しかし、こうすべきだ、とか、こうしたほうがいいよ、と「指示」してしまうと、かえって混乱させてしまい、病気も長引くことを多く経験した。
  その人自身のことは、その人自身が発見し、「腑に落ちた」ことが、一番正しい。精神科医の仕事は、その人が自分の病気について理解し、病気から抜け出る (あるいは折り合う)ための決断のプロセスをささえることだと思う。薬も他の治療も、そのための手段であって、それが治すのではない。

 病気をしてよかった、とまではなかなか思えないだろう。でも、病気をきっかけに生活や生き方を見直すことができた、と患者さんが思えたら、その思い自体が必ず回復への力になってくれる。
 病気になるという経験をして、今までのありかたを見直そうかな、これからどうしようかな、と考える。その問いに、自分が納得のいく答えを出すには、今まで 生きてきた時間を振り返るだけでなく、これからの残りの時間で何をするかを考えること、その両方が必要なのではないかと思う。生を輝かせる、ということ は、死ぬまでどう生きるか、ということでもある。最近、震災の報道や、まだ若い人たちの訃報が続いて、特にそんなことを思う機会が増えた。

  終わりがあるから生が輝く。終わるまでの間に精一杯生きていることを楽しみたい。そんな趣旨であと何回かブログを書いてみたいと思っています。 「Memento mori」シリーズとつけてみました。ちなみに患者さんにまつわるストーリーは、流れは変えずにディテールを改変しています。