絶望と希望;Freedom is Kaori, in Beijing 2022

北京冬季オリンピック、なんだかんだで観てしまっている。東京オリンピックのときはコロナ状況もあって開催時にあんなに絶望的な気持ちになったのに、それを上回る感染状況になっても自国開催でないと純粋な観客になれてしまうのでいい気なものであるとも思う。でももともとオリンピックは冬のほうがずっと好きだし、連日フィギュアスケート、スノーボード、スキージャンプ、カーリングなど、熱さと冷静さがめまぐるしく行き交うコンペティションが繰り広げられていて、つい引き寄せられてしまう。

昨夜の女子フィギュアSP最終滑走の坂本花織の演技が素晴らしかった。普段使わない感情が余っているので、正直泣いた。

2アクセル、3ルッツ、着氷した足からもう次の流れに入っていく、途切れないスピード。当たり前ながら、改めてフィギュアスケートはスケーティングのスポーツなんだなと思い知る。チェンジフットのコンビネーションスピンを終えた後、氷上で止まって肘から両手を開いて、ふっと微笑んだその笑みで、後半の幕が開く。流れるようなスケーティングからの、3フリップ+3トウループのコンビネーションはスピードがあるのに止まって見えるような、そんなジャンプで、着氷からも流れは途切れない。そして圧巻のステップシークエンス。全身から、指先まで躍動感に溢れて、まるで野生動物のような生命感で跳ねて、最後のレイバックスピンに流れ込む。

4年前のアメリ、可憐な少女のような滑りから体のありようも変化して、生き生きとした女性の生命をスケートの中で表現しきった。
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HOME, is where I want to be…

COVID-19禍の中、ここまで”Home”という言葉がクローズアップされたことは、今までもあまりなかったのではないかという気がする。
Stay Home, と曇りなく叫べる人は、物的・人的資源を含めてゆるぎないHomeがある人なのだろう。もしくは自分自身は恵まれていなくても、Homeを理想化できるほどの健全な心的リソースがあるか。
先が見えない中で、家族や同居者と苛烈な関係性にある人たちや、弱い人たち、たとえば子どもや障害のある人、高齢者を守らなければいけない状況にある人たちや、蓄えや住環境や人とのつながりに恵まれた状況にない独居の人は、STAY HOMEはなかなか辛い言葉である可能性もある。HOMEが辛い場所だった時間が長かったので、自分としてはHOMEや家や家族という言葉に複雑に絡み合った感情が湧き起こってくる。

こういうとき、つい自分の原点にある音楽に戻る習性で、Youtubeで色々好きだった曲を聴いている。
Talking Heads “This must be the place”は、直球でHOMEの歌だ。

こんなときでなくても名曲だなあと思って聴いている。けれど、今は、歌詞の単語のひとつひとつが、感情をもって現れてくる気がする。
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東京、コロナ、女子、雑感

もう言っても詮ないことなんですけど、東京都の1日あたりPCR検査可能件数(地方衛生研究所・保健所の分)、ずーっと220件なんですよね(厚労省サイト参照 )。 4/8の検査件数が394件になっているので、感染研、検疫所、民間検査会社(SRLとかの)、保険適用できる指定病院、大学は含まずの数字で、含めると今13-400(4/3が最大で557件)やっている。まあ急に保健所や衛生研究所の手は増やせない、のもわかるけども。

東京都3月前半はまだ陽性率が数%で、3月後半から10%超えだして、4月に入り週間陽性率で35%くらい。4/8の検査実施人数が366人、陽性患者数が144人なので40%ほど。感染者数が小さいうちはクラスター分析一筋での対応は意味があったと思いますし、3月前半でPCRをガンガンやる妥当性はそんなになかったと思いますが、今はもう十分に検査前確率高いと思う。こうなる前に検査能力増やしておくんだと思っていました。でもそれが難しかったんだなあと。

ひとたび東京で多発したら、人の出入りも多いし、追えなくなるシナリオは当然専門家の人たちの頭の中にはあったと思う。で政治と行政がオリンピック開催に主眼がいって、またヨーロッパよりは拡大スピードが遅かったのもあって、あのようにはならないほうのシナリオになんとなく賭けちゃったというのもあると思うけど、それにしても、1か月ほど猶予があり、またたぶんこういう事態も予想はしていただろうに検査能力(検査数ではなく)増やせなかったことが、本当に日本や東京の政治や行政システムの限界なんだなあと思いました。どういう経緯で決定がなされていったのか、空気も含めて知りたいけど、どうせよくわからないんだろうな。

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人間の尊厳を修理するということー映画評「女を修理する男」

ドキュメンタリー映画「女を修理する男」を観た。

コンゴの産婦人科医、デニス・ムクウェゲ氏のことは2018年のノーベル平和賞を受賞で初めて知った。コンゴ東部のルワンダとの国境地域には今も武装勢力が潜んでおり、活動資金とするための鉱物資源を得るため、地元の人々、特に女性や子どもを暴行することが問題となっている。ムクウェゲ氏はコンゴ東部キヴ州の産婦人科医であり、この暴力によって心身を破壊された5万人の患者を治療した。

女性器や直腸などその周囲の内臓器官が、暴行で破壊され、瘻孔ができると、性機能の問題だけでなく排泄もコントロールできなくなり、それ以前に消化管からの感染を起こすと生命の危険なある。そのような状態の治療は、先進国の整った医療環境であっても並大抵のことではない。先進国よりは医療環境も良くないコンゴの病院で、日々手術を行い、そして女性たちの心身を救っているということに驚きを覚える。機能の再建どころか生命を救うことも、日々戦いだろうと想像した。しかも紛争は未だ終結していないし、彼自身の生命すら狙われ続けている。

人間の悪意と暴力の痕に日々接するということの壮絶さ、そしてそういう活動を女性でなく男性の医師が行っているということ、その人とはどのような人なのか、知りたいと思った。
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