官能的精神医学

精神科の診療は、すべての診療科の中で、からだに触れることが最も少ない科です。

診察用のベッドすら、置いていないところのほうが多いと思います。
でも一番大事な情報は、実は感覚的なものにあります。何科に限らず、患者さんは入ってくる様子や歩き方からきちんと観察するよう指導医からは言われます。私が今までの臨床経験で、患者さんの回復をもっともよく反映すると思っているのは、「顔色」と「表情」と「動き」です。

具合が悪いときは、顔色が暗く青白いグレイで、「つるっとした、ろう人形のような」感じの皮膚をしています。中には赤い人もいますが、顔色の中に濁ったような暗さがあります。表情もこわばって、あまり動きがありません。

楽になってくると、顔色が澄んできて、ワインのロゼのような紅色があらわれてきます。表情もやわらかくなって、笑顔が出やすくなります。薬の副作用でも顔がこわばることがあるので、表情は注意して見ます。
患者さんの家族や同僚なども、良くなってきたときに、真っ先に「顔色がよくなった」と語ることが多いです。顔色や表情は、自分でなかなか意識的に作ることができなくて、無意識的に漏れてくる情報なのだろうと思います。

「色」は案外重要で、たとえばアルコール依存の人は白眼の色が灰色がかった黄色になります。顔色も似た色調の濁りがでてきます。そういう人が不眠やうつで来たら、酒量について踏み込んで聞くようにしています。
次は「動き」。患者さんの動き。調子の悪いときはやはり固い感じになります。淀んだ沼のように重たい動きになるか、鎧甲冑を着たようなぎくしゃくした動きになります。よくなってくると、動きも軽く、なめらかになりますし、反応も速くはなりますが、どこかにゆったりした余裕も見えてきます。

私がもっとも重要視しているのは上の3つです。これらは比較的早く変化します。

患者さんが発する「音」が変わるのはこれらより少し後になる印象があります。

患者さんの語りは、話の内容よりも、話し方のほうがずっと重要です。元気になってくると、一般的には話が短くシンプルになります。困っていないと特に話すことがなくなるのだと思います。
声の中の力は、比較的遅めに回復してくるような印象があります。呼吸の解放とともに力がでてくるのかもしれませんが、顔色や表情より後から回復してくる印象があります。小さかったり、かすれていたり、くぐもっていた声が、豊かな響きに変わってきます。

ほんとうは「匂い」による情報もあります。アルコール依存症では、わずかな酒臭を鋭敏に感じとるようにします。

もちろん「触れること」による情報もあります。
医者の仕事は、知識と五感をフルに使った技術に、第六感を足すと魔法になると私は思っています。科学的思考は、むしろ魔法の力を強くします。

私の見てきた中で、優秀なお医者さんは、看護師さんと一緒にオムツを替えることを厭わずに、日々の便や尿の変化を観察したり、一枚のレントゲンをためつすがめつ眺めながら、胸の音とすみずみまで照らし合わせるような人たちでした。その人たちが診ると、ひとつの検査がこんなにも多くの情報をもっているんだ、と驚かされました。

 からだが行う営みを興味深く見つめることができる医師は、検査値の裏側にあるからだの動きを読むことができます。画像や検査値はその人のいわば断片なので、つなぎあわせて、その人の中で起きていることを推理し、針路を決めていきます。本来の医師の仕事はそこに醍醐味があると思います。
 精神科の場合、検査はほとんどしないし、身体診察もあまりしません。でも、精神科こそ、繊細な五感と、第六感を使って感じられたら、得られた情報はとても実りが多いのではないかしらと思っています。漢方を処方するときなどほんとうは腹診もしたいし患者さんに触れたい。お腹のここが冷たいとか、汗ばんでいるとか、緊張しているとか、そういう些細な反応は集めればとても有用な情報になります。けれど、精神科でからだに触られるとは患者さんは思っていないので、脈をとって舌を診るだけでがまんしています。

 官能、ということばは性的な意味で使われることが多いのですが、本来の意味は感覚器官で感じとる、そのはたらきのことです。東洋医学では感じることが技術としてとても大事にされます。科学の発達で多くの知識が明瞭に共有できるいま、それゆえもっと豊かに感じることができるのではないか、と思います。医療がもっと官能的なものになったら、医師と患者さんの間にも、もっと豊かでいきいきとしたやりとりが生じるのではないかしら、などと夢想します。

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