コラム」カテゴリーアーカイブ

めんどうなひとにまきこまれない

年末に、「敵に回すと恐ろしいが、味方にすると頼りない」というフレーズを見かけて、何だかその響きのキャッチーな語呂の良さに笑ってしまった。ああ、そういう人いるなあ、と思ったけれども、自分もそういう人に多少振り回されていたというか、自ら振り回されたというか、そういうところがあったなあと思った。
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荒れた世界の中で、庭に手を入れつづけること

ようやく自分のブログに戻ってきて、家に帰ってきたようにほっとしている。ここ5-6年、特に震災以降、TwitterやFacebook、tumblr、noteなどのSNSに書いてきたけれども、SNSはどう見られているか、が気になってしまいあまり落ち着いて自分の思考や感情に集中できない。もともとあまりソーシャルではない人間なので、正しいとか役に立つ情報発信というよりは、自分の思っていることを整理するために文を書くほうだ。
今後はなるべく自分のブログに色々書こうと思っている。あまりまとまった文章にこだわらず、短い文、軽い雑感でも、書いていくつもりだ。

年始に色々ウェブ関係の整理、SNSの見直しや移転したまま放置していたブログの削除をしてみたが、ほんとうにフォーマットによって人の行動というのは制約を受けるものだなと思った。
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ラスボス

励ましあってるつもりで、消耗していた。喜びを分かち合っているつもりで、奪われていた。生きているとそういうことはよくある。なんとはなしの違和感、夜更 けに叫び出したくなるような怒り、そういうものに蓋をして生きている。感情というのは何かを示しているので、自分の中から聞こえてくるかすかなその声には 耳を傾けなければいけない。でないといつの間にか自分の中の泉は、涸れて干上がっている。

あなたの力を吸い取る相手は、決して悪魔らしい顔をしているとは限らない。また、悪意があるとも限らない。また、人であるとも限らず、場であることもある。
そういう関係性の仕組みがあるだけで、その中にひとたび入ってしまえば、尽くす側はひたすら尽くしたり貢いだり、奪う側は微笑み感謝しながら涸れるまで吸い尽くす。そしてこれは逆転することもあり、あるとき尽くす側が奪う側に回る。
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昨日見た夢と、学びのトラウマ。

明 け方に夢を見た。なぜか私は「卒業式で卒業生を代表して学校生活の思い出と教師への感謝を述べるスピーチをする代表」に選ばれていた。軽い気持ちで引き受 けて、卒業式でスピーチするものだと思っていたら、その数日前の何かの記念の会で、いきなりスピーチは今日だと言われた。大きなホールで、全校生徒が集 まっている。いつも前日とかに追い込むので、全く何の用意をしていない上に、学校生活の行事の思い出など全く思い出せない。まして教師への感謝もほとんど 持っていないのに、無理やりアドリブでひねり出さなければならない。休み時間の10分でなんとか構成を無理やり考え、笑いを取る方向にした。さあ壇上で用 意してね、と言われた時にトイレに行きたくなり、行列をかき分けて個室に駆け込んだら、尿が出ない…というところで目が覚めた。

ほ ぼ定期的に学校や教育に関する悪夢を見る。出席が足りないとか、受験時間に間に合わないとか、とにかく時間がない、という夢で、うなされて胃液の逆流によ る咳と胸焼けで目が覚める。目が覚めてもしばらく現実と区別がつかないほど夢はリアルで、もう学校に行かなくていい、試験を受けなくていい身なのだ、とい うことを再三確認し、その度に心からほっとする。

夢の内容は事実ではない。出席が足りなかったことなど ないし、遅刻さえあんまりしたことかない。受験には落ちたことがなく、試験は成績はともかくほとんど一度で通している。でも不惑を越えてまでまだこのよう に、学校に行かなくていいということを確認してほっとする、というのは、それらのことは余程無理して達成されていたのだなと思うし、あまり学習や教育とい うもの自体に良い感覚を持てていないということに改めて気づく。

中学受験のための塾通い以来、教育とは 詰め込まれるもの、学びとはさせられるもので、私にとっての学習とは、これまで常に受験勉強のように、常に時間が足りず、常に間に合わせで付け焼き刃で、 時間までに無理して辻褄を合わせるようなものだったように思う。自分の興味関心と関係なく、時間内に出された問題に幅広く点数を取るための技術、それはそ れで役には立ったのだろうが、それは決して学問にはなり得ない、ということを改めて気づいて愕然とする。断片化された知識の山は学問にはなり得ないし、思 考のかえって邪魔になる。結局ひとは、自分が興味や関心を持っていることしか、本当には学べないのだ。

何かの役に立たないが自分が読みたい本をゆっくりと、自分のペースで読んでいると心からほっとする。この繰り返し見る夢は、教育と学ぶことに関するトラウマなのだなあと思って、もうそれは手放したいと考える。
フラワーエッセンスを選ぶとファイアウィードというエッセンスに反応が出た。この花の意味は破滅からの復興。「ファイヤーウィードは火災直後の荒廃した土地に咲き始め、大地に生命を蘇らせるばかりでなく、信じられないほどの美をも、もたらします」
「希望を持ちなさい、全てが失われたわけではありません。今はそう見えるとしても、決してそうではありません。」

押 し付けでなく、もう一度、自分の中からの意志で学ぶことがようやくできる時間が来たということなのだろう。この先に教師や指導者はいないが、自分の中から それらが現れ、導いてくれるだろう。それを信頼して、今は時間を自分に取り戻すべく、ただ希望に満ちてぼんやりと待つことにする。

福音書による、治療の3つの原則 〜「我が名はレギオン」

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治療のようなもの、関係性のようなものに携わっていると、しばしば深い藪の中で道を見失う。
そんなときにいつも立ち戻る原則がある。以前とある講義の中で聴いたものだ。いや、ほんとはいつもは無意識の底に沈み、忘れている。でも今、立ち戻りたいと思い、書いてみる。

福音書には、イエスが病気を治すやり方が3つ出てくる。

ひとつは、病人自身と話す。マルコによる福音書(5章25-34節)には、12年間出血の止まらない女性が出てくる。彼女はイエスの衣の裾にでも触れることができたなら自分の病気は治るのではないかと思い、群衆に紛れてイエスの裳裾に触れる。イエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。 安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」と言い、女性の出血は止まる。
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