散文」カテゴリーアーカイブ

なつのあしおと

夏の足音が聞こえてきて
左の足首を掴む
羽虫の羽音とともに
しのび寄る夏のわな。

吐き出さなければいられない言葉が
カエルや虫の声となって、響きわたる森。

夏は暑いし、熱いし、厚い。あつくるしい。
しかしすべては幻出するだけの、なにか。

ひたすらにみどりにあおく

ひたすらにひかりにみち

ひとり防護壁

自分の中からこぼれ出ぬよう

幾重にも網を張り巡らして防御した

言葉と情動の折り重なる地層。

わたしの思いが世界を汚染せぬよう

ひとり防波堤となり防護壁となり石棺となり

ひとり世界の最前線に立ち

ひとり世界を護り続けてきた

わたしを讃えよ。

飛散する悲惨、飛散しうる悲惨。

悲惨です。

いやまじで悲惨。

めっちゃ悲惨。

考えられないほどに悲惨。

人間、というか心は何故これほどまでに悲惨。

悲惨といったら悲惨。

しかしそうも言っていられないところに

本当の悲惨があるのです。

濃縮還元感情

感情を丁寧にたどること

しぬこと

つらいこと

意志がおさえつけられていること

泣きそうなこと

喪うこと

静かでいること

にくにくしいこと

ただいること

何にも侵されないこと

ばかばかしいこと

生きているのがめんどくさいこと

生きているのは喜びに満ちていること

ただただ足を踏みしめること

ただひもとくこと

熱波

陽炎の立ち上るアスファルト、と言いたいところだが、陽炎というよりすべてが熱源のなかだ。上から下までまんべんなく暑く、熱い。空から地面まで、のっぺりと一様な熱が覆い尽くす。東京が発熱したとしか思えない。

誰も自分を愛してくれないとしたら、誰がわたしを愛するのだろう。これを撞着語というのだろうか。そもそも愛される必要があるのだろうか。自分にも他人にも。そもそもわたしとは存在するのだろうか。流れてゆく思考や行動が、わたしのかたちをした場の中で、陽炎のように渦を巻いたり、対流したり、滞留したりして、ひとときの溜まりをつくっているだけで、わたしなどほんとうはどこにもないのだろう。主張する主体、かけがえのない、境界ある個、という近代的自我の概念は集団的な幻想だとおもう。ただただ飛んできて、落ちて、渦を巻いて、また飛びゆく、渡り鳥の群れのような、そしてたまたま取り残されて留鳥や迷鳥となった鳥、自我はそんなようなもので、波打ち際にひとときの間、残った砂紋のような、そんなはかなさだ。あらゆるものが、地震や台風や大雨や津波なんかで崩れ流され、消え去っていく。ここはそんな国土であって、そこに住む人だけが確固として消えないものであるはずがなく。

集まっては散る蜉蝣、神の目から見たならそれもまたなにかの数式であらわせるのだろう。短い時間であっても、邂逅し、交尾し、消え失せ、また次へと継承する。

というようなことを考えて綴ってしまうくらいには暑い。ここは暑すぎる。