自分に敬意を払うこと

「自分で自分に敬意を払わないで、どうしてだれかに敬意を払ってくれるよう頼めますか?」
最近見たその言葉が心に刺さった。

単純に考えて、自分のケアを最後までしてくれる人、というのは自分しかいない。誰も自分の代わって自分のやりたいことを成し遂げてはくれないし、自分の体を他人が思い通りに動かしてくれることもできない。自分しか自分の思いを実現することはできないし、不調になったときに最初に気づくのは自分である。今日は身体がだるいとか、少し歯が痛い、など、他人が先に気づいてくれることはないし、ましてそれを期待することは無理だ。もちろん、病気などで自分の身体が思い通りにならないときや、自分を見失っているときは、人に頼まざるを得ないし、そのときは堂々と頼むべきだ。でもそれと、内面の感覚、感情、意欲、理想、目標に関してはまた別のことだと思う。
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めんどうなひとにまきこまれない

年末に、「敵に回すと恐ろしいが、味方にすると頼りない」というフレーズを見かけて、何だかその響きのキャッチーな語呂の良さに笑ってしまった。ああ、そういう人いるなあ、と思ったけれども、自分もそういう人に多少振り回されていたというか、自ら振り回されたというか、そういうところがあったなあと思った。
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荒れた世界の中で、庭に手を入れつづけること

ようやく自分のブログに戻ってきて、家に帰ってきたようにほっとしている。ここ5-6年、特に震災以降、TwitterやFacebook、tumblr、noteなどのSNSに書いてきたけれども、SNSはどう見られているか、が気になってしまいあまり落ち着いて自分の思考や感情に集中できない。もともとあまりソーシャルではない人間なので、正しいとか役に立つ情報発信というよりは、自分の思っていることを整理するために文を書くほうだ。
今後はなるべく自分のブログに色々書こうと思っている。あまりまとまった文章にこだわらず、短い文、軽い雑感でも、書いていくつもりだ。

年始に色々ウェブ関係の整理、SNSの見直しや移転したまま放置していたブログの削除をしてみたが、ほんとうにフォーマットによって人の行動というのは制約を受けるものだなと思った。
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ラスボス

励ましあってるつもりで、消耗していた。喜びを分かち合っているつもりで、奪われていた。生きているとそういうことはよくある。なんとはなしの違和感、夜更 けに叫び出したくなるような怒り、そういうものに蓋をして生きている。感情というのは何かを示しているので、自分の中から聞こえてくるかすかなその声には 耳を傾けなければいけない。でないといつの間にか自分の中の泉は、涸れて干上がっている。

あなたの力を吸い取る相手は、決して悪魔らしい顔をしているとは限らない。また、悪意があるとも限らない。また、人であるとも限らず、場であることもある。
そういう関係性の仕組みがあるだけで、その中にひとたび入ってしまえば、尽くす側はひたすら尽くしたり貢いだり、奪う側は微笑み感謝しながら涸れるまで吸い尽くす。そしてこれは逆転することもあり、あるとき尽くす側が奪う側に回る。
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賑やかな終末と静かな始原-杉本博司展「ロスト・ヒューマン」

東京都写真美術館の杉本博司展「ロスト・ヒューマン」、ようやっと行けました。感想、長文です。

2 階では、世界の終末を示した33のシナリオを、いつのまにか古物商もやってた杉本の膨大な古物インスタレーションが飾る。色々な立場の人が、「今日、世界 は死んだ。もしかすると昨日かもしれない」という言葉で始める手書きの後悔の告白とともに、戦時中米軍が発行したJap hunting licenseとか、三葉虫の化石とか、ラブドールとか、ハリケーンで浸水した杉本の作品とか、もうありとあらゆる古物が並ぶ。
なんかそれらのシナリオはいちいちB級SFのようで陳腐で滑稽なんだけど、どれかはひょっとすると、なくもないかもしれないと思うわけです。あの不動産王のような言葉を使う人が人気を得て大統領候補になるのがこの世界のリアリティ。
そ の中でも毒ガスマスクをつけて横たわる帝国陸軍の扮装をした人形が印象に残った。撃ちてしやまん的な大日本帝国ワードが並ぶ旗のようなもので包まれてい る。「戦闘ではなく、衝突です」というような空疎な虚言を重ねた果てに、かつては立って話して笑っていた人が、横たわる物体になって帰ってくる世界があ る。そのときもあくまで、「決断の失敗ではなく、悲劇です」と定義されるんだろうな。世界は言葉から病む。世界は言葉から始まったのだから。

3 階の展示は杉本の代表作、劇場シリーズ。今回は、米国の廃墟になった映画館を探して、ゴジラとかローズマリーの赤ちゃんとか博士の異常な愛情とかのディザ スタームービーを上映し、映画一本分の露光で映画館を撮った作品。廃墟映画館を探すのが相当大変だったらしい。廃墟劇場シリーズは2階の喧噪とはうってか わって、静かな終末感。でも何やらすっきりと新しい始まりのような印象もある。
もうひとつ、今回新作として、三十三間堂の仏像群を早朝の光だけで撮った「仏の海」シリーズもあった。全部違う仏のはずなんだけど同じアングルで撮られていて、ほんとにひとつひとつが違う波だけど全体としてひとつの海であるような。

終末の後に涅槃に至り救済されるということらしい。作者の趣向は分かりやすい、でも作者の意図を作品群がちゃんと超えている気がする。断片化した古物、それは後でちゃんと調和した統合に至る。ひとつひとつが違う動きをする波が、ひとつの海をつくるように。

68 歳の杉本は世界は終わると信じて疑わないと言い切るけど、ご本人は新しい能舞台と能作品を作ろうとしてたり、つやつやして元気で、死ななそう。楽観主義者 は楽観でいるために悲観を極めるらしい。なんかその裏腹感といい、世界は滑稽で、それゆえに破れがあって、たぶん完全なユートピアにも悲劇にもしばらく至 らない。閉館ぎりぎりに案外混み合う中展示を観ていた人たちが、陳腐ではない何かを世界にもたらしてくれるといいなと思う。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2565.htm