日別アーカイブ: 2010年8月29日

Burma, A Forgotten Country : 「ビルマVJ 消された革命」(1)


「ビルマVJ 消された革命」
を観た。
2007年8月、ミャンマー(ビルマ)で起きた、僧侶主導の反政府デモと、それに対する軍事政権の弾圧を記録したドキュメンタリーフィルム。

ミャンマー国内で、軍事独裁国家の苛烈な報道統制を掻い潜り、秘密裏にミャンマー国内の状況を記録し世界へ配信し続けるビデオジャーナリストたちの活動を、一部再現映像も交えてドキュメンタリー風に再構成している。主人公”ジョシュア”はノルウェーのオスロに本部を置く民主化支援メディア、<ビルマ民主の声>の配信を、仲間たちと命を賭して行っている。ビルマでは1988年に大規模な民主化運動が起きているが、この時も軍に弾圧された。今回19年ぶりに起こった、2007年の民主化を求めるデモとその弾圧についてのドキュメンタリーである。

2007年8月、政府が燃料価格を突然500%も引き上げた事をきっかけに、数千人にわたる僧侶たちが主導して各地でデモを開始した。僧侶たちは普段は寺院で自己研鑽のために厳しい修行をしている出家者たちであり、原則政治に介入はしないが、「民衆が苦しんでいるのであれば立ちあがる」とのことである。
映画にも描かれているが、デモにおいて、僧侶たちは政治的スローガンではなく、ただ政府に「和解を」と呼びかけ、托鉢用の鉢を伏せて抗議の意をあらわす「伏鉢」を高く掲げ、読経をしながら行進を続けた。数千人だった僧侶たちの数は、群衆も入れて数万人に増加した。
暴力も煽りもなく、行進をし続けただけの僧侶たちと人々に、軍は鎮圧のため銃口を向けた。フィルムには丸腰で歩く人々に、正面から水平射撃を行う兵士たちの姿がおさめられている。

日本人ジャーナリスト、長井健司さんが兵士の放った銃弾に倒れたのは記憶に新しいけれども、あれからもう3年も経つのか、という気もする。長井さんが倒れたまさにその瞬間もこのフィルムに収められている。それを撮っていたのもこの市井に潜伏するジャーナリストたちだった。

私は2005年にミャンマーに行ったことがある。
前年にひとりで行ったキューバで日本人の旅行者に会って、「どこかよかったところありますか?」と聞いたら、彼が「ミャンマーおすすめですよ。田舎すぎて悪い人がいない」と言ったのがきっかけだった。
悪い人がいない、それは行ってみたい。そんな安易な理由だけでミャンマーに行くことを決めた。

バンコクでヤンゴン・エアーに乗り換えて、着いたときもうヤンゴンは夜だった。
入国審査があると思ったら、高校の模擬店みたいな木枠がついた机があるばかりで、気が付いたら入国手続きもろくになく入国していた。迎えの人や観光業者が勝手に入国審査のゾーンを越えて入り込んで、呼び込みをしていた。
一応観光カウンターと思われる場所でタクシーを頼んだら、やたらに愛想のよいおじさんがやってきてウェルカムと叫びながら荷物を持って行った。やばいのかもしれないが引き返すのも難しいので乗り込んだら、会社で両替してくれるといい、レートを言った。確かミャンマーは銀行等のレートが極端に悪く、ほとんど闇両替だったような気がする。レートは悪くなかったので乗ることにした。彼らはヤンゴンの暗い夜をぼろい車を飛ばして市内に入り、ここがオフィスだと言って私を下ろした。建物に入ったら全く停電していて、真っ暗な中でろうそくをつけ、火の下で札を数えた。ろうそくの炎に揺らぐ初めての異国の人たちの顔はやや不気味だったが、両替額はきっちりあっていた。彼らはきちんと私をスーレー・パゴダ近くのホテルまで送ってくれた。


初めてのミャンマーは「巻きスカートと油とお寺の国」だった。
ミャンマーでは男性もロンジーという巻きスカートを履いている。あと市民のほとんどの足元靴ではなくはゴム草履が定番だった。走る時、ロンジーの結び目がほどけやすいので、前で結び目をもって小走りに走る姿がなんだかかわいかった。
食事は基本的においしいいのだが、なぜかどの料理も油が大量に使われていて、いつも油が数mmの層になっていた。それだけ大量の油を食べるのに、ミャンマーの人たちはみなやせていて、チョコレート色の肌のつやに油気を感じるだけである。顔立ちも隣国のタイヤベトナムとはちょっと違ってすっきりしていて、若い子はみなびっくりするほど美しかった。
ミャンマーはほんとうに敬虔な仏教国である。日本のお寺はお堂の中で祈るが、ミャンマーの寺院はパゴダと言って、屋外に仏塔が並んでいて、そこでお祈りをする。
パゴダは日本と違ってきらびやかな金色に塗られ、仏像も電飾で飾られている。仏は光り輝く存在、ということらしい。上座部仏教なので、僧侶たちは自分の悟りを得るために寺院で修行している出家者で、一切の金品は受け取らず托鉢のみで日々の修行を行う。在家の人々には僧侶は愛と尊敬を持って迎えられる存在である。人々はパゴダで朝に夕に座り、祈りを捧げる。それはほんとうに穏やかな、静かで心打たれる風景だった。

(つづく)