薬 x 言葉 = EBM + 陰陽道 (1)

研修医だった頃、指導医について薬物療法を学んだ。似たプロフィールの薬が大量にあるので、最初は本当にわけがわからなくて、まるで大量の外国語の単語のようだった。たまたま私の指導医たちは、経験豊富でしっかり薬物療法の体系ができている先生たちだったのと、チェックはしつつも「やってみたら?」と言ってくれる人たちであったので、割と早い段階からおそるおそる自分で処方を考えた。抗不安薬一つ出すのに、胃が痛くなるほどどれがいいか考えて、出したあともこれでベストだったのかどうか、本当に悩んでまた胃が痛くなった。

処方は実際使ってみるのが一番勉強になる。一番参考になるのは患者さんの表情で、合っているときは必ずやわらぐ。顔色も状態が悪い時はグレーに淀むけど、バラ色の輝きが出て、澄んでくる。声をかけたときの患者さんの一瞬の反応とか、体の無意識の動きから緊張が抜けてきて、話す内容や声のトーンが穏やかなものになるなどの変化がみられる。こういう判断は、別に医師だけが判断できる特殊能力ではなく、誰でも観ればわかる、ごく当たり前の能力である。検査値を読むのはトレーニングがいるけれど、精神的な回復はだれでも観て明らかなものである。

私が研修医の頃、ある中年の女性が、激しい興奮と被害妄想で入院してきた。私を罵り、暴れてひどい状態だったのだけれども、ハロペリドールという薬を処方してわりとすぐに被害妄想と興奮は治まり、穏やかになった。彼女はたぶん若い頃から病気自体はあったと思われたのだが、そう大きな問題にならなかったので、今回人生で初めて病院を受診し、初めて薬を飲んだ。ご主人がとても穏やかに彼女を見守ってくれる方だったので、ほどなくして退院となった。
その人が私の初めての外来患者さんとなった。入院中は毎日診れるので何かあったらすぐ対応できるけれども、外来では患者さんは帰ってしまう。次に来るのは短くても1週間後なので、病棟とはだいぶタイムスパンが異なる。デビューしたての若い医師にとってはかなりこわいものである。
その人は退院して1か月ほどは穏やかな状態で「特にかわりありません」と語っていたのだが、2ヶ月目に入るくらいから表情が険しくなってきて、私の問いかけへの答えもとげとげしくなってきた。そのうち「私の家を監視されてる」「主人に女がいる」等語りだしたので、これは再燃している、まずいなと不安になった。薬の量が足りないのかと思い、私はかなり焦ってセレネースを毎回増量したが、彼女の被害妄想と混乱はだんだんとエスカレートしていった。
3ヶ月目くらいになって、彼女はご主人と一緒に受診した。彼女はひとしきり被害妄想を語った後、混乱してわっと泣きだして、「実はお薬を飲んでいなかったんです」と告白した。今思えば恥ずかしいけれども、私はてっきり彼女は薬をきちんと飲んでいると思っていた(つまりそれだけの信頼関係があると思っていた)ので、薬の量が足りないと思って焦って増量してしまったのだが、単純に怠薬していたのである。ご主人は「私もてっきり、飲んでいるものだと思っていて・・・」と言った。

患者さんというものは、案外薬を飲んでいないものだ。それを私は彼女から学ばせてもらった。病棟ではスタッフがチェックするから飲んでいないということは(たまにしか)ありえないので、全く想定していなかった。
外来という場は難しくて、もっと自由度が高いし、医師と患者の心理の間である種のダイナミクスが起こる。慣れた今ではそれがむしろ楽しいし力に変えることもできるけれども、当時はただ想定外のことが起きるのが不安で仕方なかった。

彼女になぜ薬を飲むのをやめてしまったのか聞いたら、舌がもつれる気がする、何となく頭も働かない、ということだった。ハロペリドールの副作用である。
ハロペリドールは安全で良い薬だけれども、患者さんによっては副作用が出る。副作用が少ないとされる非定型抗精神病薬は、今でこそたくさんあるが、私が研修医だった10年ほど前は、デビューしたばかりのリスぺリドン1種類しかなかった。日本では誰も経験がなかったし、どのような薬か知るには、使ってみるしか方法がなかった。
ハロペリドールのまま量を下げてもう一度飲むように言うか、未知の新薬リスぺリドンにするかの選択を迫られた。私はリスぺリドンを使ってみることにした。「副作用が少ない新しいお薬が出たから、こちらのほうがいいかもしれません」と彼女とご主人に伝えて、おそるおそる少量を処方した。
次に彼女が来るまでの一週間は不安でたまらなかった。もし何か未知の副作用が出たらどうしよう、彼女は医療不信になってもう病院に来なくなるのではないか、と恐ろしい思いでいっぱいだった。他者の体に何かの介入をする、というのは基本的にものすごくこわいことだ。それが医師の仕事なのであるが。

次の受診で、彼女の名前を呼んだ時、また諸々の不安が胸をよぎった。彼女はまたご主人と診察室に入ってきた。
彼女は私に向かってにこやかに笑いかけた。その表情は、見違えるような穏やかさに満ちていて、ちょっとびっくりするほどだった。「なんだか落ち着いてきました。夜も眠れるようになったし。」と彼女は語った。妄想については、「少し心配だが、前よりは気にならない」と言った。ご主人も彼女と同じ笑顔で「今のお薬のほうがいいみたいです」と言った。
その後のフォローでも彼女の笑顔はもっと増えていった。穏やかな日々がまた戻り、受診間隔も2週間、1カ月と伸びていった。「今のお薬なら飲めます。先生のおかげです」と彼女は語った。

鬼のような形相で私を罵倒した彼女が、平和な生活を愛する主婦に戻った。素の彼女はかわいらしい人だった。私に対していつも「忙しくて大変ですね。先生も体に気をつけて」と気づかってくれた。私は病気になった時点の彼女しか知らないけれども、もともと彼女はそういうpeacefulな人だったのだろう。あのとき彼女が怠薬を告白しなかったら、薬を変えなかったと思うし、彼女の平和な一面は長く出てこなかったかもしれない。医師は元気なときの患者さんを通常知らないから、「まあこんなもんだろう」と思ってしまいがちである。

薬。それは何てすごい力。そして何て恐ろしい力。選択しだいで、良くも悪くも人格まで変えてしまうように見える。医師なら必ず経験している平凡な一経験だけれども、若くて未熟な小心者の研修医には、強い印象を残した。

(つづく)