ロックで読み解く貧困 (3) 尊厳の貧困 – Aerosmith “Janie’s got a gun”

感情的に不安定で、自分というものの感覚を持てない。いつも自信がなく、他者もしくは場の空気を読み、自分を抑圧しながら、時にその怒りや苦しさを反動で噴出させる。怒りや苦しさを自覚できればいいけれど、それを感じてはいけない、と思うと、その場から「いなくなる」。肉体はそこにいながら、意識はそこにいることをやめて、「抜けてしまう」こと。その時空間に存在することをやめてしまう、それが解離という現象である。
自分自身を振り返ると、幼少期は土も緑もない東京の下町で、閉塞的な空間と人間関係と価値観の中で、喘息発作でいつも疲れており、そこから抜けたくて進学校に進んで医者になったものの、常に自分自身の価値観や欲求とは違う振る舞いと共感と自己犠牲を公的にも私的にも要請され(ていると思い込み)、やはりずっと疲れていた。そうして記憶がいつもくすんでいるというか、よく覚えられなくなった。今振り返ると軽く解離していたような気がする。不惑を越えてようやく、人間には断る権利と表現する権利、共感「しない」権利、自分のしたいことを行為する権利があると腑に落ちた。そうすると、今まではなにやってたんだろうという気持ちとともに、今までとらわれていた数々の苦痛が急に現実感がなく、それらは本当にあったのだろうかという風に感じたりもする。ひとの記憶のリアリティは本来はそんなものなのだろう。現在の感情に多分に修飾されていて、その強さによってリアリティを感じたり感じなかったりする。

感情の不安定と苦痛に悩む患者さんが健康的に回復するとき、わりとこんな風な過程をたどる気がする。回復過程のすべてを、「私はこのように考えこのように努力し、したがってこのように変わった」と論理的に説明できることはあまりなく、どこかに飛躍があるのがふつうだ。服を脱ぐように「私なんであんなだったんだろう。あの時はおかしかった」という風に語られると、すっかり回復したんだなと思う。
自分の場合は、なんだかんだで、流れと他の人たちに助けられてここまで来た。自分は孤独で不運だと思っていたが、振り返ればそればかりではなく、助けられていたのだなあと思う。
しかしそれはまあ、結果として幸運な例であり、世の中には暗い水の中で身を縮め、息を潜めるように生きている人たちもいる。臨床の場で邂逅する女性たち。それぞれに過食・拒食など食べることの問題、慢性的な自己否定感や抑うつ感、自傷、意識や記憶がなくなる解離などの問題を抱えている。
そういう人たちは、初めて会ったときには自分の症状について語り、次第に怒りや苦しみを表出し、時には感情をこちらに向けることもある。その中の少数の人たちは、関係性ができてしばらくしてのち、そっと「実は、、、」と語り始めることがある。「実は、中学校の時の先生が、、、」「実は、小学校の頃、父が、、、」。性的な搾取の体験である。

行われていることは、相手が選択権のない子どもである以上、紛れもない「虐待」なのであるが、あえて虐待という言葉をここで使わない。私の感覚としては、”invasion”「侵入」「侵犯」という感じがもっとも近いように思うが、あえて「搾取」とここでは呼びたい。
多くの場合、性的搾取を行うのは、実のあるいは義理の親であったり、教師であったり、本人よりは少し強く権力のある立場の人である。幼い頃で意味もわからないまま行われていたり、教師で内申などの条件と引き替えに脅迫されていたり、抵抗するかどうか選ぶ余裕が持てない中で、続いている。
多くは本人は黙っている。たまに母親などに、勇気を振り絞って訴えでることがあるが、だいたいは、凍りついたあと、「なかったことにされた」とよく聴く。「世間体が悪い」とか「それは言っちゃだめよ」と言われることが多いが、言われた大人にとっても、理解や対処を越えるショックのために棚上げにされるのだろうと思う。そうして子どもは、「勇気を出してもどうにもならない」という無気力を学んでいく。ごくまれにはきちんと大人が対処した場合があって、そういう人の予後はなかったことにされた人より良い印象がある。

搾取する人もまた原家族からの被虐待歴があることも多い。「虐待の世代間連鎖」と手垢のついた呼び方があるぐらいなので、病理というよりも、人間は学んだように自分も行う、という一般的な真理のあらわれなのかもしれない。

前置きが長くなってしまった。Aerosmithの ” Janie’s got a gun “。エアロスミスの曲には珍しく、社会問題を扱った曲である。
” Janie’s got a gun “は、デヴィッド・フィンチャーが監督したMVは青の光が印象的な、短い映画仕立てになっている。初めて見たときは衝撃的で、何度も観てしまった。

父親(私は勝手に継父だと思っているが)に虐待されたJanieという少女が、銃をとって父親に復讐し、逃走するストーリーになっている。

What did her daddy do ?
What did he put you through ?

put you through という短い表現に、彼女の境界を不当に侵犯した、というニュアンスが集約されている。性的搾取の本質は、その人の固有の領域の侵犯である。性的な交わりは、互いの許可があって初めて創造的なものになる。普段は独立した個である存在が、お互いの境界を手放し、明け渡し、そこから何かまったく新しいものが生まれるのを許すこと。本質的には、愛をもって自分の存在を互いに明け渡すことにあり、その関係性の中で人はある意味一度死ぬ。
しかし、性的搾取の場合は、搾取する側は自らを明け渡すことはなく、エゴの殻を強化するだけである。死ぬのは搾取される側だけであり、そこからは何も創造的なものは生まれない。
子ども(あるいは未熟な人)の場合はまだ自分を守る個の殻も弱いし、内面も形になる前なので傷つきやすい。性的搾取は、孵化する前の卵を割ることに近い。強制的に割れば、中から個性に結実できなかった感情や生命が流れ出てしまう。それを取り返すには、相当な時間を要する。

What did her daddy do ?
It’s Janie’s last I O U.

彼女の父親は何をしたんだい?
それは彼女からの最後通牒だったのさ。

IOUは、I owe you. なので、直訳は「最後の借用証書」である。ここも好きで、多くの場合、性的な搾取は、「お前を養っているのは誰だ」とか、「内申点が悪くなってもいいのか」とか、「お前が生きていることには借りがある。その借りをこういう形で請求してもよいはずだ」「お前だってばれたら困るだろう」という脅しとともになされる。自分を尊重できない人は、身に覚えのない「請求書」をとりあえず支払わないといけないのかな、と思ってしまう。あるいは請求書の意味もよくわからないまま、支払わされている。
搾取されていたジェニーは、ある日、これは不当な請求である、と気づく。それがこの短いフレーズでよくあらわされていると思う。

She said ‘cause nobody believes me. The man was such a sleaze
He ain’t never gonna be the same…

彼女は言った だって誰も私を信じてくれないから あの男は変態よ
ずっとこのままでいいはずがないわ

この曲にはain’t never gonna be the same. というフレーズが二回出てくる。初めの主語は彼女、二回めの主語は彼だ。搾取者や事なかれ主義の大人は、内面の真実に向き合わずに、表面上何も起きていないふりをしていたい人たちである。つまり、同じでいさせようとする。しかし、状況が同じままであっていいはずがない。だって、真実を糊塗するために、私の尊厳が使われているわけだから。そう気がついたとき、回復の引き金が引かれる。

Janie’s got a gun
Her whole worlds come undone
From lookin’ straight at the sun.

ジェニーは銃を取った
彼女の世界はすべてもとに戻った
まっすぐに太陽を見たのさ

ここで思い出すのは、私に中学教師からの性的搾取のことを語ってくれた若い女性である。彼女はいつも不自然に身をかがめていて、すぐに「すみませんすみません」と謝っていた。自己否定や罪悪感にとらわれていると、人は身を縮めるのかもしれない。ジェニーは身を屈めて息を潜めるのをやめ、何を恥じることもなく、太陽の下に出ることにした。

不当だ、と気がついたなら、選ぶのは「戦うか、逃げるか」しかない。
しかしジェニーの場合、その結果が銃を取るという選択であったのはあまりにも悲しい。

Run away, run away from the pain…

ジェニーのようにアッパーに戦うことを選ぶ人はなかなかいないし、またそうすることがいいわけでもない。
実はこの歌詞には、run away とon the runという言葉が合計21回出てくる。もちろんここでは、ジェニーが父親を射殺した後の逃走なのであるが、本当は、もっと前、追いつめられる前に、逃げてよかったのだ。事なかれシステムに巻き込まれている大人は見て見ぬ振りをしても、必ずその外に助けてくれる人はいる。すぐに見つからなかったとしても、逃げることはそこにいるよりましなのである。逃げることは、自分を尊重することだ。それは自分への信頼を外に表現することであり必ず力を引き寄せる。
やはり虐待経験を書いたこの記事にも、「自殺や他殺をするぐらいなら、逃げた方が5億倍マシだから」と著者が書いているが、本当にそう思う。

ただ逃げるのも体力と気力がいるのも確かで、本来ならば与えられるべき愛情と保護をもらえないだけでなく、搾取されながら生育してきた人たちはたいてい消耗している。もしいま逃げる気力がなければ、そういう自分を責めないこと、拒否をしていいのだということ、「顔をあげて」いいのだということ。自分を尊重することを求める権利があるのだということ。それらをこころのどこかに置いておいてほしい。逃げるにしろ、戦うにしろ、助けを求めるにしろ、必ずタイミングはやってくる。

ものすごく長文になってしまった。このシリーズはロックで読み解く貧困というタイトルであるが、性的搾取の連鎖は、尊厳の貧困から来ていると思う。それは感情と想像力の貧困である。搾取する者もまたかつては搾取された者であり、「ここからはどうせ抜けられないんだ」という諦念のもとに、一時の慰めを弱い存在に求める。自分の内面の感情を尊重されたことがなく、また自分自身を尊重もしない。ただ状況の中で諦め、怒りを抱えている。違う未来を想像する力も失われている。そしてその態度が、連鎖される。

何か今の日本の状況に似ている気もする。搾取から抜け出すための一歩は、まずは自分の感情を尊重すること、自分の身体、自分の境界、自分の時間を尊重することから始まる。つきつめれば自分が欲することを与えられるのは、自分自身だけである。そこから他者もまたかけがえのない存在なのだということが、体感されてくる。まずは頭を上げて、太陽を眺めてみる。それだけで未来の何かは、変わるかもしれない。

ロックで読み解く貧困 (3) 尊厳の貧困 – Aerosmith “Janie’s got a gun”」への1件のフィードバック

  1. 森エール

    対人援助を始めた頃に相談者から性的虐待の経験を
    立て続けにおうかがいすることがありました。
    中には半世紀以上も苦しんでいる人もいて、
    その事実への憤りややるせなさを感じる一方で、
    異性である私が本当に相談者の痛みを理解できるのか、
    自分が聞く立場としてふさわしいのかなど悩みました。

    現在は虐待する側もされる側も対応している自分がいます。
    特に理由を考えたことがなかったのですが、
    この文章を読んで合点がいった部分があります。
    それは、私という人間が知らず知らずのうちに
    相手から生きるエネルギーを搾取したり、搾取されたり、
    自分にエネルギーを与え惜しみをしたり、
    そういう経験を充分積んで、傷つき、
    恢復しようとしている存在であること。
    それは相談者もそうなのだということ。
    その共通項の認識がどこかにあるのだと気づきました。

    もう一つ、この文章で意識づけられたことがあります。
    人は獣性と霊性を合わせ持つ存在ですが、
    科学が進歩し、生活が文化的になって、
    人類が成長したのではという錯覚があります。
    しかし、実は人間としての尊厳の「貧困の時代」を
    いまだに続けているため、霊性を充分に発揮できないのだということ。
    これが闘争や貧困や格差などのあらゆる禍の元かもしれません。
    諦めずに地道に光をあてていく作業の一つとして、
    対人援助を続けさせていただこうと思いました。
    ありがとうございました。

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