私が「私」に戻るとき

  
2013年の後半に読んだ本の中で、もっとも感銘を受けた本、それが「もう独りにしないで―解離を背景にもつ精神科医の摂食障害からの回復」(まさきまほこ、星和書店)だ。
当事者視点からの個人史はたくさんある。だが、この本の出色な点は、幼少時の被虐待当事者としての半生の追体験と、治療者の観点から自身の回復過程の詳細な分析が並列していることだ。学生時代から幼少時へ、急に飛んだりする回想部分。リアリティのある解離と摂食障害の体験と治療者としての明晰な視点。この本の構成自体が、彼女の解離の構造のようにも思えてくる。
解離とは、過去のストレス場面が急に想起され、恐怖反応が起きたり、記憶が途切れてしまう状態である。「私」が一貫した私でいられなくなる。結局のところ、精神科外来に来る人たちは、自分を見失った人たちである。こころを病むのは、私が私ではないものを消化し、乗り越えきれなかった結果であると思う。

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この10年ほどの間に、人々のメンタルヘルスと切っても切り離せない変化が生まれた。それは、情報量の爆発的な増加と、媒体や情報空間の多様化である。
インターネットとメールは、やりとりされる情報量を天文学的に増やした。20数年前まで、海外とのやりとりは、郵便、せいぜいFAXであったが、メールによって地球の裏側の国とやりとりができるようになった。ここ数年のツイッターやフェイスブック、LINEなどのソーシャルネットワークの台頭は、私たちの他者との出逢いやコミュニケーションの様式を変えた。それは私たちの視野を広げ、今までなら出逢うことのなかった距離の他者と出逢うことで人間関係を豊かにする反面、均質化して閉じたグループも形成し、見える世界をさらに狭くする可能性も生まれた。
本来、ひとりの人間には色々な立場がある。たとえば働く女性は、労働者であり、妻であり、母であり、人になかなか言えない悩みも持っていたりする。現在の情報化社会では、それぞれ持っている心性や属性によって、それぞれの個別のグループとつながることが可能である。育児の悩み相談をウェブ上でしてみたり、あるいは地域のママのグループに集ってみたり、趣味のサークルに入って活動をしてみたりすることができる。SNSでは、活動ごとに別のアカウントを持つ人たちもいる。
それはいわば、本来一人の人に属する人格が、「複数の人格」として活動するようなものだ。

人間が健全な精神を保つためには、才能や特質、関心や興味に目を向け、開花させることが必要であると思う。自分の関心を表現できる場があるというのは、基本的に良いことだ。前号にも患者さんのことを書いたが、解離という症状を持つ人たちを見ていると、感受性が豊かで潜在的な心的能力が高い人たちが多い。それらをのびのびと発達させることが許されなかった、もしくは自分で止めてしまった人たちに、解離や複数人格という症状があらわれてくる印象がある。
しかし、たくさん開かれた能力は、「私」というひとりの人間のアイデンティティに再度統合される必要がある。妻であり、母であり、労働者であり、趣味人である「私」は、上手に時間とエネルギーを配分し、「私」のアイデンティティを確立する必要がある。ただ、いくつも拡散していくだけなら、「私」がばらばらになっていってしまうだろう。

社会から求められる多様な役割と、洪水のような情報の渦中で、「私」が単に役割を配分したばらばらの人格に分解せずに、ひとりの人間として意味を持つためにはどうすればよいのか。あるいは過度のストレスからばらばらになってしまった人格が、もう一度「私」に統合されていくには、どういうことが助けになるのか。

前述の「もう独りにしないでー解離を背景にもつ精神科医の摂食障害からの回復」の中に、私にとっては興味深い記述があった。
後半の「解説」の第4章「個人的体験としての解離と摂食障害を振り返って」の中に、「『まほこ』の統合への道」という章がある。
少し長くなるが、その中の一部を引用する。
「まずは『思考』を休めて『感覚』と『直感』という精神機能を使ってみようと考えた。『まほこ』は多くの最も俗っぽく、生身の性欲が渦巻くような場所から、最も高尚と言われているような歴史上の建造物に至るまで自分の時間と空間のゆるす限り生身で触れ、その二つの機能を意識して接する機会を設けた。」

「そうしてたくさんの人や物に触れ、そして物に関しては買って集めた。どちらかと言うと買っては売って、買っては捨てて、買ってはあげて、買っては放ったらかしにして……買ってもそれらが使用されることはほとんどなかった。そのうち『一体何を右から左に、左から右に、流し込んでいるのだろう……。意味がわからない』と虚しくなった。物って何だろう……?
またわからなくなったので、もう諦めようかと思ったが、この左右のエネルギーの動きは、どうやら無意味な作業に過ぎないことというわけではなかったようだった。物を捨てていくに応じて、内的世界でも外的世界でも、必要最小限の健康的な心の働きや物は残っていったからである。それは今も残っている。」(引用終了)

ここでの「物」は、愛情の代償物とも言えるかもしれない。愛情の代償として、物質なり何かをいったん大量に取り入れる必要がある。過食症ではそれが食べ物であるわけだが、少なくともそういう欲求は自然であること、それは自分へのケアの欲求であることは認める必要がある。
そして、もうひとつ大事な段階は、捨てるということである。大量に取り入れた物の中には、自分が欲したものと、社会から欲させられたものがある。自分の欲求を殺して生きてきた人たちは、初めそれらの違いを区別できない。そして、大量の物を使わず捨てる、というのはほとんどの欲求は自分のものではなく、欲求させられたものであったからである。真に自分が欲したものは、わずかしか残らない。しかしこの作業において、自分にとって不要なもの、そして自分が本当に気に入るものが明らかになる。周囲の人は、「単なる無駄遣いだ」と責めずに、「自分がほんとうに気に入るものはどれか、意識してごらん」と伝えて見守ることで、本人の回復の過程を支えることもできる。 「『まほこ』の統合への道」から以下、再び引用する。
「そして、もう過去の自分にできることが何もなく、今の自分から始めなくてはならないという現実に直面した時『まほこ』は泣いた。(中略)初めて自分のためだけに泣いた。(中略)『感情』のスイッチがぎりぎりのところでぽんっと入ったのだ。生き残った感じがした。それからは、泣いては眠り、漫才を見ては笑い、眠った。泣きたいのか笑いたいのかわからなかったが、泣いてばかりいるうちに、『感情』を意識して使うことが、徐々に怖くなくなったようだった。
そして『もう自由になりたい』と思った。」(引用終了)

ここでのキーワードは「生身の身体性」と「いまここの感覚・感情を感じること、認めること」だと思う。摂食障害の人は、自分の周囲の人々や社会から求められる役割に、自分を従わせなければならないと考えていることが多い。愛情への心理的希求、心地よさを求める身体的な欲求を抑圧し、それらをコントロールしようとして過食したり拒食したりする。そこには、求められる社会的存在としてのあり方と自己の欲求の葛藤が常にあり、あるべき型に自分を当てはめようとしてもがいている。

特に女性は、素直で、美しく、心優しく、自分自身の欲求より他の誰かの欲求を優先させることを美徳とされていることがまだまだ多い。女性向け雑誌を見れば、妻として美しく着飾り、賢く切り盛りし、母として受容的に振る舞う、そういう理想のアイコンが並んでいる。しかしそういう良妻賢母のロールモデルが、果たして現代の情報過多な世の中でまだ機能するだろうか? 実際にそう振る舞い続ければ、生活上も心理的にもあっという間に過重負担となってしまうだろう。

いったん、「過去の自分を構成してきたもの」の中にあるもう不要な価値観を捨てる。無理があるものをやめるためには、「いま」に戻る必要がある。いまここで、感じる気持ちを否定せず、受け入れ続けていく。疲弊しているときに無理に具体的な目的を置いても、それは過去の枠組みで縛られたものに過ぎず、それに向かって努力したところでまた疲れてしまうだろう。一見、無目的に生成する「いま」の気持ち、からだの欲求、それらには必ず意味と理由がある。食べたいものを食べ、見たいものを見て、触れたいと思うものに触れる。何もできないなら、ひたすらごろごろする。そういう自分の「いま」を、許して受け入れる。目的志向でないゆったりした時間を通過することの中から、自分の真の欲求と、そうでないものが、自然に区別され、不要なものがおのずと捨てられていく。残ったものの中から、それまでは見えなかった何かが、必ず不死鳥のように飛び立つだろう。
「私」とは考えることだけからは決してあらわれず、感じ、動く中からたちあらわれてくる。いまのところの私の結論は、そんなところである。

※これも2013年に「こころの科学」に載せていただいた文章の改編。まさきさんの本、また読み返したい。「わたしの回復」というのは、決してきれいなロジックであらわすことはできず、矛盾に満ちた迷路を素直に進んで行く先にふと闇が開けるように光がみえるようなもの。でも見える景色は、すべて見るべき景色であり、これは終わったあとに初めて、自分だけが俯瞰でき、その意味がわかります。他者が狙ったりコントロールしたり指南したり、医者であっても本質的にはできないと思う。というわけで、自分が感じる(特に身体的な)感覚が示すメッセージに意識を向け、それをもっと信じてほしい。それは他の誰にも説明も理解もできなくても、自分だけにはいつも正しいのです。

私が「私」に戻るとき」への1件のフィードバック

  1. 子どもの頃から、母親の保護者的役割を負う。母親は、精神的な病があったからだ。母は自分を頼った(精神的に依存した)。家に帰ると、鍵が掛って入れないこともあった。勝手口を開けるときの、母の不安そうな表情は、頭に焼き付いて離れない。外出時は、付き添った。8歳、9歳の子供が、保護者の保護者である。当時、母の病について、誰も説明してくれなかった。母も病気を隠し、家族でそれに関する話はタブーだった。訳の分からない母の状態を受け入れることも出来ず、しかし、それを受け入れざるを得なかった。それは結局、現在も続いている。30歳でようやく、家から離れることを許され、今は一人暮らし。精神科には月に1~2回、カウンセリングには月4回通っている。うつ病だと言われて、4年くらい。治らない。家族の問題について、医師やカウンセラーに、話したがらないからだ。医師たちも、触れようとはしない。膠着状態だ。薬を飲みながら、細々と生きている。母が病気だと強く意識したのは、29歳の時。専門学校、精神医学の授業中。講師の話が、母の状態とよく似ている。と言うか、同じだった。その時改めて、母は病気なのだと強く意識した。病気と分かっても、それについて、いろいろ調べたりはしなかった。知るのが怖いのかもしれない。医師たちに語ろうとしないのは、必死で築き上げてきたものを、壊されるような恐怖があるから。本当はすでに崩壊しているものを、なんとかまだ水際で止めておきたい。バリケードが高いのだ。自分の中に、解離の症状はない。しかし、カウンセリングの一室で、35歳の大人が、くまの人形を胸に抱いて寝ている風景は、異様といえるだろう。

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