知 VS 情・意のレジスタンス

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 時々、措置入院の鑑定診察を担当することがある。措置入院は、「精神障害があり、それによる自傷他害のおそれがあると精神保健指定医2名の判断が一致した場合、都道府県知事または政令指定都市の市長からの命令により行われる入院治療」を指す。精神科に通っている人たちが家で暴れてしまったり外で危険な行為をしたりした場合に、警察が間に入ることがある。その際に「精神疾患による症状なのではないか」と判断されると、自治体の保健担当職員を介して精神保健指定医に措置入院の鑑定診察依頼がくる。
 夜や深夜に多いのは、境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder; BPD)の人たちの情動の爆発である。女性が多い。家族や友人と口論になり、自分や相手を傷つけようとするそぶりを見せて、相手が警察を呼び、保護される・・・という経緯が多い。

 措置入院の診察の告知のために警察署に同行するのだが、その告知の際に、いつも彼女たちが見せる態度が共通であることに、興味をおぼえる。
 「精神保健福祉法第27条に基づく診察を行います、これは県知事の命令によるものです・・・」という定型的な文を担当職員が読むのだが、彼女たちは、「そんな論理的に言われても、わかりません!」とか「ごちゃごちゃ言われても、私には関係ない!」という反応を示すのである。耳をふさぐのはよくあるが、中には歌い出す人もいた。
 身内の口論に警察が来て、急に病院で診察する、と言われたらびっくりして、ことがすぐには飲み込めないのは、ある意味当然ではある。
 しかし、BPDの人が一様に、「論理的なことは、まったく聞きたくないし、わからない」という反応を示すことを、興味深く思っていた。
 外来診療のときに、BPDの人と話していると、何があったか時系列で論理的に話すというよりは、最近感じた感情や、その日の気分から話す人が多い。特に具合の悪いときはそうなる。診察室に入るなり、いきなり前置きなく、「ひどいと思いませんか!?」と言ったりする。何があったのかを理解するのが、にわかには難しい。あれもつらかった、これもつらかった、というが、あれは先週で、これは5年前のことだったりする。自分の感じたことを知ってほしくてたくさんしゃべるが、しゃべればしゃべるほど情報が混乱して、聞く方はそれがいつのことなのか、余計にわからなくなる。しかし精神的に落ち着いてくると、時系列でわかりやすく話すことができるようになってきたりもする。
 
 BPDに特有な認知の傾向はあるのだろうか。実は、実行機能が弱いという研究報告がいくつかある。例えば、2009年のハーランドの研究では、IQに差がないように割り付けたBPD群と対照群で神経心理的機能を比較したところ、注意や作動記憶長期記憶には差がなかったが、前頭葉の実行機能を反映するテストバッテリーではBPD群で成績が低かった。
 これは、たとえば計画を立てたり、系統的にヒントを探ってみたり、思考を柔軟に変えてみたり、衝動的に反応することを抑える総合的な能力を示す。平たくいうとBPDの人たちでは「よく考えて選択する」という能力が低い傾向にあったのである。
 心のはたらきには、「知・情・意」がある。カントが提唱した概念であるが、簡潔に心のはたらきが示されている。知は理性、知性、論理性を示し、情は感情、意志は行動しようとする衝動を示す。
 前述の課題で計測できるのは、心のはたらきの、主に知性の部分である。しかし、感情と意志も同じく、重要な機能である。
 現代では、知的であることに非常に重きが置かれている。科学技術の発展は知性と論理的能力なしにはありえなかったことであり、私たちはそれらから多大な恩恵を受けている。
 ただ一方で、知性が万能であると信じれば落とし穴もある。たとえば世界金融危機は、完璧であったはずの机上の計算が実体経済に覆されたとも言えるだろう。不安や期待により市場が左右されるのも日常茶飯事である。

 心においては、論理では裏付けられない矛盾がしばしばある。今日はこう思ったけれども、明日にはまた違うことを考える。昨日は傷ついたが、今日は笑っている。傷つきながらも笑っていたり、同時に複数の感情や思考が存在したりすることもある。
 知と、情・意は、しばしば折り合わない。知性ではどう考えても利益がないが、どうしてもあることがやりたい、ということがあったりする。たとえば漫画を描くことが好きだが、漫画家で食べていける可能性は確率的にはかなり低い。でもどうしても漫画家になりたい、ということがある。心は損得だけでは動けないのである。
 
 BPDには女性が多い。少し前に「話を聞かない男、地図が読めない女、」という本がベストセラーになった。個人差はあるものの、女性と男性の中央値をとったら、女性は男性と比べてより共感的であり、男性はより論理的であると思う。
 BPDの人は感性が豊かである。たいてい美しいものが好きで、お洒落な人も多い。
 BPDの診断基準に「不安定で揺れ動く自己像」というのがあるが、なぜ不安定になってしまうかというと、自分を信じられないからだ。あの人はこう言う、この人は言う、正しいのはどっちなの、とパニックに陥る。自分に自信がないので、自分の感情を抑え、意志を抑え、他人が言ったことに従う。でもそうすることで、抑えていたものが爆発する。その繰り返しが症状である、と思う。
 でも自分の心について、ほんとうに正しいのは、「色々な意見を聞いた上で、それでも私はこう思う」と思ったことなのだ。他者の考えはさておき自分を信じてみること、これが根本的な回復の方向性だと思っている。
 では何を信じればいいのか。それは自分の感じたことと、したいことである。すなわち情であり、意である。まず損得や世間の価値観をいったんわきに置いて、感じたことを素直に表現してみることである。
 彼女らがほんとうにしたいのは、暴れたり、自傷したりすることではないはずだ。ほんとうにしたいことは私にはできない、という無力感を感じているから、暴れるしかできないのである。爆発するというかたちではなく、感じたことを言葉や、その他の表現や、前向きな挑戦にすることを助けること、それを喜ぶことが治療者のアートである。

 知性で感情と意志をコントロールすることが成功とみなされる世界の中で、彼女たちの感情と意志は行き場を失っている。
 彼女たちにとっては、知は情と意を抑圧する横暴な支配者になってしまっている。たいていの場合、抑圧してきたのは親や周囲の大人であるが、周囲がさして抑圧的にふるまってもいないのに、彼女たちが過敏すぎてそのようにとらえてしまっていることもしばしばある。彼女たちの中では、抑圧的な知に対しての、情、意の戦いとなってしまっている。ある意味、抵抗に身を捧げるレジスタンスの戦士のようだが、それは男性的な論理性が支配する世界に対する、女性的な感性の抵抗でもある、と私は見ている。少々うがった見方かもしれないが。

 最後に、あるBPDの人が大きく改善したきっかけを紹介しておく。20代の女性だったが、何度も大量服薬や飛び降りをして、生き延びられるかどうか危ぶまれた人だった。ある春、ほころびはじめた桜をみて、「ああ、桜はこんなきれいなのに、私は今のままではいたくないな」と思った。そこから彼女の感情的な爆発と大きな自傷は少しずつおさまっていった。その後結婚もした。
 大きな爆発を何回も起こして、それに疲れた、もしくは飽きたのかもしれない。ある意味、彼女の持っているエネルギーの「ガス抜き」が十分になされた後だからこそ、そう思えたのかもしれない。しかし疲れ果てた後に、彼女の心を動かしたのは、自然の美しさへの感動だった。自分もこのように美しい存在になりたい、という気持ちが彼女の中に芽生え、彼女の感じ方を変えた。
 いま苦しんでいる彼女たちの感性が、こういうかたちでいきいきと花開かれるとといいと思っている。

*こちらの文章は「こころの科学」2013年5月号「こころの現場から」の連載を改変したものです。

追記)あらためて読むと、去年の自分の「反知性」的な気分がすごく出ている気がする。また、今になって強く思うのだが、BPDの(もしくはBPD的状態にある)人たちは決して理性の力が弱いのではなく、それだけ本来はのびやかに表現されるべきだった感情や感性が、様々な要因でタイトに抑圧されてきてしまったせいで、理性が働けないのだ。感情的に鬱屈していれば、理性や知性だって本来の力を発揮することができない。性格的には、考えすぎるほど考えてしまう人のほうが多いように思う。

知 VS 情・意のレジスタンス」への2件のフィードバック

  1. こりん

    私は軽いうつ状態を何度か経験したのみで、きちんとした診断は受けたことはないのですが、BPDの要素を持っているなと感じでいました。
    以前、摂食障害とBPDを比較した文章を拝読したときも感動しましたが、今回の記事には特に救われました。

    「彼女らがほんとうにしたいのは、暴れたり、自傷したりすることではないはずだ。ほんとうにしたいことは私にはできない、という無力感を感じているから、暴れるしかできないのである。」
    ここを読んだとき、初めて自分を理解してもらえたような気がして涙が止まりませんでした。

    20代前半に好きな音楽に出会い、20代後半になってようやくそれを表現する場を獲得し、少し落ち着きを取り戻せるようになりました。
    先生のおっしゃる通り、もっと早くに言いようのない無力感の外に出て、自分を表現することができていれば良かったのになぁと思うこともたびたびあります。

    今再び自信のなさと表現欲求とが戦っている時期に来ています。
    この記事を励みに、もう一度自分が楽になる道を探したいと思いました。
    本当にありがとうございました。

  2. Mahiru 投稿作成者

    こりんさま

    コメントありがとうございます。私のほうこそ励まされます。
    ほんと、自分に許可を出すことはなかなかむずかしいですよね。
    周りの人が、OKだよ!と言ってくれる環境があればよかったのですが、それがなければ自分で自分にOKを出すよりほかないですものね。
    でもきっとこりんさんの中の表現も外に出たがっているはずですし、それに触れたい人もいると思います。
    そうやって苦しんだり感じたりした末にたどりついた表現て、きっと人に届く力があると思いますよ!

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