ロックで読み解く貧困 (1) – Tracy Chapman “Fast Car”

先日、トレイシー・チャップマンの「ファースト・カー」がラジオから流れてきた。
この曲でうたわれるテーマは、絵に描いたような貧困だ。この曲は若い女性のストーリーである。彼女の交際相手は、スピードの出る車を買った。父はアルコール依存で、飲んだくれてばかりで働かない。母は別の人生を求めてそんな夫と娘を棄てた。彼女は学校を辞めてコンビニで働き、父の世話をしている。彼女はこの町を出さえすれば、新しい人生が開けるのではないかと思い、彼のクルマで町を出ようとを提案する。

彼女は新しい人生への一縷の望みを賭けて、彼にこう迫る。

” You got a fast car
Is it fast enough that we can fly away
We gotta make a decision
Leave tonight or live and die this way ”

「私たち、決断しましょう。今夜ここを出るか、この町の中でこんな風に生きて死ぬのか」

そして二人は逃げるように町を出て、シェルターに流れつく。いつか郊外に大きな家を買うことを夢見て、彼女はスーパーのレジの仕事につく。彼はまだ職がない。

曲の後半は、そんな二人の顛末が綴られる。
二人は結婚して子どもをもうけたが、夫はいっこうに仕事に就かず、友達と飲み歩いて子どもの世話もあまりしない。生計を支えるために働くのは彼女ばかりで、彼女はもう、どこか他所へ行ったら今より生活がよくなるとは思わなくなった。
そして彼女は彼にこう言う。
「あなた決断して。今夜ここを出るか、この町の中でこうやって生きて死ぬのか」
曲の前半ではWe だった主語がここではYouになり、彼女は暗に彼に出て行くことを迫る。
前半でささやかな貯金とありったけ勇気を振り絞り、彼と幸せを築く希望を持って息苦しい貧困の町を脱出した彼女は、行きついた先で全く同じ円環に陥る。

私はこの曲が出た1988年には中学生で、アメリカの貧困は本当に悲惨なんだなと思っていた。アフリカ系の人種差別も酷いのだろうと思っていた。しかし、大学を出て医師になり、臨床に携わってから、生活保護の家庭やアルコール依存の家庭、精神疾患の人を抱える家庭において、まったく同じような顛末を何度も何度も聞き、これは遠い国の話ではないのだ、どこにでもある話なのだと知った。ありふれすぎて、心を痛めるいとまもなくなりつつある自分に少し落胆する。
トルストイは『アンナ・カレーニナ』の中で、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」と語った。だが、私からすると、むしろ不幸な家庭ほど、一様に似通っている。幸せな家庭は、単身であろうと3世帯であろうと、経済的には貧しくても、驚くほど小さな、そして多様なことに幸せを見出して暮らしている。しかし不幸な家庭はきまって、幸せを見出す努力というものが失われており、今ある苦痛から眼を背けることにほとんどの努力が費やされているのである。

貧困は連鎖する。2世代で続けば、それはほとんど、遺伝になるとすら思える。2013年8月に生活保護制度の基準改定が予定されている。生活困窮者自立支援法という耳障りのいい名前はついているが、貧困の中の、「希望を見出す力」の低下という真の要因に、立法者は気がついているのだろうか。貧困者に鞭を打っても意欲は生まれない。わずかの力を振り絞り、立ち上がろうとする努力が無惨に打ち砕かれること、それを繰り返すことから、無気力が根づき、その土壌に貧困ははびこっていく。

サビでは、彼女と彼がささやかな幸せを感じていた短い時間の思い出が挿入される。
” So remember when we’re driving, driving in your car
The speed so fast felt like I was drunk
City lights lay out before us
And your arm felt nice wrapped ‘round my shoulder
And I had a feeling that I belonged
And I had a feeling I could be someone, be someone, be someone ”

思い出してみて あなたのクルマでドライブしたときのこと
めまいがするくらいのスピードで
街の灯りが私たちの前に広がる
私の肩を抱くあなたの腕がとても心地よくて
やっと居場所ができたんだって、思えた
やっと生まれ変われるんだって、思ってた」

belonged という言葉がキーだ。どこにも所属していない、という孤立感を、ひきこもりの人や精神疾患を病む人は、強く持っている。生活保護を受けている私の患者さんは、「ひとりで考えちゃうとだめですね。役所に世話になることになって、本当に落ち込みました。世間に申し訳なくて。ここへ来てもどうにもならないと思ったけど、やはりお話聞いていただいてよかった。だんだん元気になってきました」と語った。単身の彼女はうつ病を病んでいることすら気がつかなかった。
日々見過ごされてしまうような小さな出会いが街のそこかしこである。診療所もまた然りである。それらが少しでも、苦しむ人たちを勇気づけるものであることを願う。Fast Carの主人公のように、街を出れば貧困が一気に解決するものではないだろう。ごく普通の人々との小さな出逢いと小さな手助けの積み重ねが、力を与えるのだと思っている。

サビを口ずさみながら、不覚にも泣いてしまった。私もどこかに所属しているのだろうか。あるいはしていないのだろうか。考えても答えは出ないので、今日も保留にする。

 

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