ときめきに従うこと、従えない病。【書評】人生がときめく片づけの魔法(2)

(つづき)
 この本のタイトルは「人生がときめく片づけの魔法」となっている。こんまり先生が言うには、この方法で片づけを行うと、「人生が変わる」と言い切る。

 私の人生はまだ変わってはいないが、確かに何かを取捨選択する際の判断は早くなったような気がする。「捨てても大丈夫、なんとかなる」という感じは腑に落ちた。そうすると、無駄なものを買わなくなるし、整理する時間が減り、好きなものと過ごせるようになり、探し物に使う時間も減った。
 
 この本のラディカルな点は、こんまり先生の独特な「対モノ観」にあると思う。

 その集大成は第5章にあらわれている。「ストッキングを結んだりするのは、1日中はかれてきて疲れているストッキングに対してかわいそう」「おうちは神社のようなもの。帰ったらまず「ただいま」と声をかけよう」など、“おうち”と“モノ”を擬人化して愛おしんでいる。iPhone版にはたたみ方の動画がついているのだが、ストッキングをたたむこんまり先生の手つきは優美で丁寧で、私はかつて靴下をこんな風に触ったことはないと思わせる。

 人に色々精神科用語でラベルを貼るのは精神科医の悪趣味な職業病である。しかし、それを承知であえて話題にさせてもらうならば、こんまり先生のモノへの愛、モノへのこだわりはいわゆるアスペルガー障害の人のもつ特定領域への偏愛に似ていると思う。
 アスペルガー、もしくはPDD(広汎性発達障害; Pervasive Developmental Disorders)の人は、彼らが偏愛する対象のもの(たとえば乗り物やゲームなど)について、普通の人が決してしない、細分化された、時にものに人格があるかのような見方をする。それは時々「独特」や「奇妙」と評されるけれども、私には結構対象の本質をついていると思えることが多い。*1
  
 こんまり先生のモノへの感情移入に関しては、かなり受け入れに差があるようで、この本の評価はアマゾンレビューで見るとかなりきっぱりと分かれている。星5つの声は、「今までどんな片づけ本を読んでもできなかったのが、ゴミ袋○個捨てた」というような声である。特徴は、具体的に捨てた袋の数などが書いてあることで、この人たちは「実行できた」のである。星1つの声に多いのは、「科学的根拠がない」「ときめくという感覚がわからない」「ときめくものばかりを残したら全部捨ててしまうことになり、生活できない」という声だった。でもその人たちはおそらく、読んだだけで実行はしていないと思われた。

 もちろん、読んでも実行に至らない、という場合は合っていないので、無理にやらないほうがいいのだけれども、でも「ときめかないものを捨てたら全部捨てることになる」というのはちょっと、思考先行な気もする。逆に、それほどときめかないものが多いならば、そのようなモノを買い続けていることの動機を見直してみたほうがよいし、少し捨てたほうが自分が見えるかもしれない。

 ここで思い出すのがBPD(境界性人格障害; Borderline Personality Disorder)と摂食障害の人たちである。
 私の今までの経験の中では、BPDの人たちの部屋は、ほぼ9割がた散らかっている。家族会でも最初の話題になるのは「娘の荷物がリビングを浸食するので困る」であった。何を取捨選択していいかわからないまま、衝動にかられて買っていくので、だいたい部屋にうずたかく衣類などが積まれていて、それが家族のリビングやきょうだいの部屋などに侵入していく。それは「拡張し、巻き込む混乱」であって、彼女たちの身振りそのものが部屋にもあらわれている。
 摂食障害の人たちの部屋は、私はあまり知らないので断言はできないが、過食の人は散らかっている傾向があるのではないかと推測する。
 なぜそれを書いたかというと、この2つのカテゴリの人たちは、行動化のタイプが外に向かうか、内に向かうか、という違いはあるけれども、両方とも過剰なほど「空気を読む」人たちである。2つとも圧倒的に女性が多いが、痛ましいほど「外部の規範や評価」を気にし、自分の望みを抑圧してそれに合わせようと頑張っている。抑圧が破綻して怒りが爆発するのがBPDで、抑圧しきった末に外部から入るもの(食物)をすべて拒否するのが拒食心性、抑圧しきった末に残った欲求不満をなだめるために過食するのが過食心性であると私は考えている。

 私はこの本を一番読んでほしいのは、実はこの人たちである。
 前にも書いたが、こんまり先生によれば、モノが増えるのは「過去への執着」と「未来への不安」であるという。BPDや摂食障害の人たちは、他者からの評価に怯えている。現代には情報があふれていて、「何かが欠けているあなたも、これを買えばあなたの容姿や健康や生活や頭はもっとよくなる」と色々なメディアが絶えず語りかけてくる。自分を変えたい人はすがるような気持ちでそれらのモノ買ったり取り入れたりしてみる。でも今の自分にフィットするものはごく少数しかなく、ほとんどのモノがガラクタと化して、その中で息ができなくなっているのに、「いつか使うかも。いつか必要になるかも」と思って捨てられない。「自分にとって必要なモノや求めているモノが見えていないと、ますます不必要なモノを増やしてしまいます」(p609)のである。

 食という行為は、情報処理と似ていると思う。これを食べれば私の気持ちはおさまるかもと思い過食するが、太る不安や嫌悪感で耐えきれず嘔吐する。情報も同じで、これを知っていれば自分はもっと向上するかも、と思いながら集めるが、使えていない情報はかえって自分を動けなくしているかもしれない。

 掃除、というのは結構いい行動療法なんじゃないかと思う。使わないモノが増えていくというのは、現在の等身大の自分を見失っているということである。人の意見にしたがってばかりいると、ほんとうの自分がわからなくなる。少し自分の感覚を聞いてみる、そして従ってみること。掃除や部屋の片づけをして、好きなモノを残すことで、ほんとうに自分が求めているものが見えてくると思う。

 でもこの本を薦めたときの反応は予測できる。BPDの人は割合身体感覚に誠実なので、もしかしたら実行できるかもしれない。でもその過程で色々な悲しみや混乱が噴き出してくると思うので、誰かが一緒についてその感情を受け止めながら作業する必要があると思う。摂食障害の人は、そもそも思考先行で、希望を抑圧する傾向があるので、「ときめきの感覚なんてわからない」「ときめきだけじゃ人生やっていけない」など、アマゾンレビューの否定的な評価のような反応をして、実行しないだろうと思う。でもそれも誰かがついて「頭で考えずに、まずはやってみましょう」と促して一緒にやってくれたら違うかもしれない。
 それくらい片づけというのは実はしんどい。そもそもこの片づけを実行できたら、半分くらい治っている段階なのだろう。

「片づけは祭りです。片づけは毎日するものではありません。1回本当にきちんと片づければ終わるのです。」とこんまり先生は語る。
 精神の病気を治すということもある意味、「片づけ」であって「祭り」であり、何度も少しずつ行うよりは一回きちんと取り組むほうがずっとすっきりすると思う。
 「あなたはあなたが『本当にときめくこと』に多いに時間と情熱を注いでください。それは、あなたの使命といってもいいかもしれません。・・・本当の人生は、『片づけたあと』に始まるのです。」(p679)

「先日、片づけしすぎて病院に搬送されました。朝目が覚めたら、首から肩にかけてまったく動かず、ベッドから起き上がれなくなってしまったのです。・・・原因は定かではありませんが、片づけしかしていなかったのでそれ以外に原因が思いあたりません。・・・そんな目にあっても、ようやく首が動くようになった私が一番はじめに思ったことは、「収納家具の上段が見上げられるって、なんて幸せなんだろう・・・」ということでした。私の頭の中は九割が片づけなのです」(p682)
 片づけていれば幸せ。その感覚はたぶん他者には理解しがたい。それはあまり共感も呼ばないし、絶賛する人は、たぶん少ないだろう。誰もが賞賛する価値観ではないと思う。でも、大事なのは、軽やかに独自の世界に生きているこんまり先生は、それで幸せであり、それが幸せなのである。そしてその世界に徹することで、多くの人に資している。「柳は緑、花は紅、真面目」なのである。悩んでいる人たちに、自分の根をはり、花を咲かせられる場所が見つかるといいと思う。それが誰も見ていない高い山の岩場であったとしても。
 私自身もまだ片づけ中の身で、自分の居場所は見つかっていないけれども。

*1 PDD型自己の特徴は「対象の中に入り込み、それを分析する方向性をもつ一方で、全対象を俯瞰的に眺め、統合的にとらえることもある」だそうである。(「成人の高機能広汎性発達障害とアスペルガー症候群」広沢 正孝)何であっても、対象にほんとうに深く没頭し、その本質を分析して俯瞰しようとすると、一般人の視点や切り口とは違ってきてしまう。その点で達人が極めているものを語るときの視点は、皆どこかアスペルガー的であると思う。(アスペルガー的=アスペルガー障害、というつもりではありませんのでご留意ください。)

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