モテキに見る、確かさへの不安。

「モテキ」全4巻読了。
16日からテレ東でドラマも始まりました~。森山未来がナチュラルボーン藤本幸世ですw

漫画は、藤本幸世(29歳・男子・派遣社員。非モテ)にいきなり人生初の「モテ期」が訪れ、3人+1の女子たちとの間で奮闘する話。
藤本は厳密には非モテであっても非コミュではないので(現に色々なとこから遊びの声がかかる)私としては、ほんとうに「非モテ・非コミュ」の人の恋愛なり非コミュ脱出の過程を読んでみたい、とは思うのですが(そういう意味では電車男のほうが多少のリアリティはあったかな)、それでも藤本の「痛い」自己意識は、けっこう現代的なテーマな気がします。

しかし、モテキ、なかなか深いです。
出てくる女子がまず「肉食積極系(亜紀)」「草食さっぱり系(いつか)」「小悪魔振り回し系(夏樹)」「ヤンキー面倒見系(尚子)」タイプが網羅されてる。こういう女子、いるよね~!と読んでて笑えます。

また、小さい言葉から誤解と妄想が広がっていくあたりとかもありがちな心理。
全部俺が悪いんだあー、とか。「え・・・こん位で鎖国すんの?」(by亜紀)
漫画家のオム先生から、亜紀にプロポーズした、と聞いて(本当はしていない)、本人に確かめもせずに「幸せにな!」といい顔して逃げてしまうあたりとか。

でもって深読み。この漫画の裏テーマは、「確かさ」と「関係性」、「自己意識」だと思いました。

「本当に俺のことが好きなの?」「私が好きなの?」と登場人物は連呼します。
でもそう叫ぶ彼らも、「じゃああなたは私が好きなの?」と返されると「うっ」となる。自分の中でも相手を好きかどうかはっきりしないんですよね。自分の中ではっきりしないから相手に明確な気持ちを示してほしい。「投影」ですな。
「あなたが私を本当に好きなら、わたしもあなたを好きになります」という。

でもそもそも「本当にあなたが好き」っていう事態が存在するのかどうか?
存在するとしたら、それはどういう状態なのか?というのは考えてみると面白いです。
そして、それは恋愛が始まったばかりの状態でありうるのかどうか?

モテキの登場人物たちは、「この関係が確かなものなら、私は踏み出そう」と言います。それが確かかどうか知ろうとして、試行錯誤します(その結果「やっぱ無理」だったりする。笑)
痛いほど確かなものを、求めている。その不安もよくわかる。

でも、そもそも「確かな関係から始まる関係」というもの自体が存在するのかどうか。
踏み出してみなければ、どんなものになるのかわからないのではないかしら。そこが恋愛や人間関係や、縁の面白いところであって、もちろん大変なところでもある。

「関係性」というのは、ほんとうは刻一刻動いています。
もしいつも固定した関係というのがあったらそれは病んでいる、と以前、講義でいわれたことがあるけど、本当にそうだと思う。(「わたし作る人、僕食べる人」か。例が古。)
助けられる人がまた助ける側に回ったり、助ける側だった人も、あるときには助けてもらったりする。それが自由に入れ替われるとき、それは健全な関係といえるのかも。

「自分自身」もずっと同じではないです。「本当に俺が好きなの?!」と言っても、その俺自体が日々変わっていっている。
自分自身も常に変わっていっているし、他人もまた変わっていっている。その出会いの中でまた何かが変わっていく。人に会うことで、自分自身の中から知らなかった部分があらわれてきたりもする。化学反応ですよね。出会わなければ、ぶつかってみなければ、変容は起きない。

「本当の私」なんて、4巻で夏樹が言うように、ないのかもしれない。みんなの頭の中に違う「私」がいて、それは100人いれば100通りで、それぞれ正しいも間違ってるもない。違う印象で思われても、それはその人が思ったことであって「責任とれないわ」by 夏樹。
だいたい恋愛は、幻想から始まることが多いわけで、だから恋愛の蜜月は長くサバイバルしないことが多いけれど、幻想がなければそもそも関係性が始まらないともいえる。

誤解や幻想から関係が始まっても、相手のこころを探りながら、離れたり近づいてみたり、理解しようとと必死になったり、うまくいったりいかなかったりしながら、自分も出会う人も変化して発展していく、それが因や縁ていうものなのかな、と思います。

ひとは、「変わらない」確かさを求めます。それもとても重要だと思います。
でも「確かじゃないと踏み出せない」という不安を、最近至るところで見ます。銀行だって「絶対返せるんですね」という場合にしか貸してくれない。
診察室でも同じことが起こっていて、「この薬は確実に安全で効くんですね?それなら飲みます」というようなことをおっしゃる方が時々います。(もちろん苦しい中で初めて飲むお薬であれば、そういう気持ちを持って当然と思います。)
ただ「正直、飲んでみないとわかりません。もし効かないとか、かえって具合が悪ければやめてかまいませんよ」と言うと、「それが自分でわかるか、わからないから不安なんです」と言われたりします。
「正しい判断」ができるか不安なんですよね。意外と自分自身のことが一番、わからないものですし。

「確かさ」というのは、ほんとうは人に保証してもらうものじゃなくて、たぶん自分の中から出てくるものなんだと思います。「変わらない」確かさもあれば、「いつでも変われる」柔軟な確かさもある。その両方を自分自身の中につくっていくことが、人生での勉強なのかもね。私自身もまだまだです。

お、話が広がりすぎてしまいました。
作者久保ミツロウさんのラストのコメント、「私は幸世が誰かに必要とされなくても他人と関わっていく力を持ち始める事が大事だと思うので、その姿まで描けてよかったです」がいいなあと思いました。

個人的には、幸世が「ああああ消えてしまいたい死にたい死にたい死にたい死にたい・・・」と連呼したあと、「よし、死にたいも10回言えば4回あたりから言葉が形骸化するな」というのがツボでした~。これ、実際にアクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)というのにあるメソッドです。(熊野宏昭先生の本に出てきた)

というわけでモテキ、なかなかおすすめです(ちょっと痛めだけど)。

モテキ (1) (イブニングKC)

久保 ミツロウ / 講談社

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