映画評」カテゴリーアーカイブ

8月9日

3年前に観たこの映画。「夏の祈り」。

長崎の被爆者の暮らすホームで、見学に来る学生の前で、年に数回演じられる原爆の体験の演劇。高齢 になりほとんど車椅子に座ったきりの人たちがこの日だけは立ち上がって、「あの日」の体験を演じる。脇を若いヘルパーに支えながらでないと歩けないのに、 それでも演じようとする入居者の人たちは鬼気迫るものがありました。

原爆投下直後の長崎で、修道女たちが歌いながら数日を生き延び、死んでいった賛美歌「み母マリア」。

今NHKスペシャル「あの子を訪ねて 長崎 被爆児童の70年」を観ている。去年は「マッハステムの脅威」を観た。爆心地から離れた場所のほうが爆風の威力は大きかったらしい。

戦争は、決して終わらない記憶を心身に刻む。終わらない記憶は、決して書き換わらず、その人たちの中で、現在の時間に並行して流れている。それは時々、現在に侵食して、忘れるなと迫る。

でも、体験した人が誰もいなくなったなら?同じことをまた繰り返すのだろうか?あったことを忘れようとすれば、忘れるなとまた歴史が迫ることになるのだろうか。

音楽の中で、もう一度ひとは目覚める—映画「パーソナル・ソング」

ずっと見逃していた「パーソナル・ソング」を観た。

米国の認知症の入所介護施設。自発性も記憶力の改善もみられず、ただ日々の時間を無表情で過ごす人たち。MSWのダン・コーエンは、ipodでその人たちにとって思い出深い音楽を流してみたところ、ずっと無反応だった人々が即座に次々と歌い、歩き出す。

「月1000ドルの医薬品を使ってもまったく反応のない認知症の人たちが、40ドルのipodから流れる音楽でたちまちいきいきとする。しかし、それにはお金は出ないのです。それは医療の枠外だから」とフィルムの中で老年医学者のビル・トーマスは語る。そう、それは医療ではない。効かなくても高くても、医療の枠組みに乗っているものだけが医療として認められる。フィルムの後半で、ダンがipodの普及に寄付を求めてあちこちを回るけれども、けんもほろろに追い返されるシーンがある。

神経学者オリバー・サックス。「音楽はその人の内面の感情や記憶を甦らせる目覚めの力を持っている」と目を輝かせて語るドクター・サックスは本当に素敵だ。「妻と帽子を間違えた男」に出てくる患者さんも深刻な失認症状を伴っていたが、音楽を杖として生活していた様子をいきいきと書いていたことを思い出した。

音楽を聴いた瞬間にいきいきと歌い、踊り、語り出す認知症の人たちがこの映画の主役だが、私が個人的に感銘を受けたのはゲスト出演のボビー・マクファーリンのシーン。「人間の中にあらかじめ音楽がある」と語る彼は神経学者の登壇するシンポジウムで、壇上で飛び跳ねながら、聴衆に自然に音階を歌わせ、音楽に導いていく。

存在が音楽であるボビー・マクファーリンの凄さ。彼そのものが音楽であり、音楽への愛そのものだ。

私が認知症になったら、ipodに入れて流されるのはムーンライダーズなんだろうな。私はたぶん、歌いながら、高1女子のこじれた心性を語り出すだろう。それはあんまりにも恥ずかしいので、認知症にはなりません。ならないようにする。

めちゃくちゃおすすめなんですが、下高井戸シネマで3/20まで、午前中というきびしいスケジュール。でも是非!行けない人は予告編だけでもぜひ。

http://personal-song.com/

ダンの活動はこちら。全米の施設にipodと音楽療法を広めようと情熱を持って活動中。寄付も募集中。

http://musicandmemory.org/about/mission-and-vision/