部屋の片づけは人生をかたちづくる。ー【書評】人生がときめく片づけの魔法(1)

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 昨年の私のベスト1。私がたぶん昨年最も影響を受け、実際に行動変容ができた本。
 私自身、ほとんどものごころついてから今までの30年以上、片づけができないことに悩んできた。特に働き始めてからは自分の収入でものが買えるようになったので、あふれかえる本やCD、服、グッズの類があちらこちらにランダムに散らばり、必要なものが普段は使わないものの中に埋もれて探すのに時間を費やすありさま。
 片づけ本も数知れず買った。片づけ界では有名な(笑)「ガラクタ捨てれば自分がみえる」「そうじ力」「捨てる!技術」など。
 しかし読んで一時的に片づけるようになっても、続かない。

 また、困ったことに、精神科の外来にも、「片づけられないが、自分はADHDではないか」という相談が舞い込むのである。今までは全員女性で、「片づけられない女たち」という本がことの発端である。

相談内容は、「診断と治療をしてほしい」。80代で、立派に子や孫を育てあげた女性からも、「私は長年片づけられないことに悩んできたが、ADHDではないか。やっと自分についての疑問が解けた。専門機関を相談したいのだがどうか」という相談があった。成人のADHDの診断はまだ議論がある領域だし、少なくとも「片づけられない=ADHD」ではない。まして、薬物療法を含む精神科の治療で、片づけができるようになるとは思われない・・・というような説明をするが、ほとんどの人は納得せず、成人の発達障害を診てくれるという医療機関を受診しますといって帰っていく。自分も含め、「片づけられない」ということが世の女性をいかに悩ませているか、ということを仕事でも実感したりする。

 しかし昨年後半に、私の「片づけられない女」歴に転機があった。偶然観たテレビに、著者の「こんまり先生」こと近藤麻理絵さんが出ていて、翌日iPhoneで電子書籍版をダウンロードして読んだ(版元のサンマーク出版は電子書籍化を進めてくれている)。しばらくして、3分の2ほどの衣類を処分し、400冊近くの本を一気に電子化した。それから部屋の光景が見違えるようにさっぱりして、自分でもモノがないとこんなに気持ちも体もすっきりするのかと驚いた。そもそも、こんなに処分できたことがないし、自分にとっては「処分にとりかかることができたことが奇跡的」なのである。

 そもそも、片づけられないのはなぜか?と考えてみると、モノが多すぎるからだ。使うモノより、とっておくモノのほうが多いからである。
 ではなぜモノを買ってしまうのか?自分の場合は、ひとつには「この本を読むと知識が増えるかも」とか「生活が便利になるかも」という単純に言えば、「いい気分になる可能性」と、ふたつめは、「この本くらい読んでおかないと、と上司が言ったし」「やっぱりこれくらいの質のモノをもっておかないとおかしいかな」という「不安の払拭」のためである気がする。どちらにしろ、エスカレートすると依存的になっていく。「モノがあれば安心」から「モノがなければ不安」になっていくのである。
 でも、使い切れていない、ということは、今思えば、それは必要がなかったということでもある。いいと思って買ったけど着ない服や読まない本、ちょっと使っただけでやめた器具などは、そもそも必要なかったか、使う力量がなかったのだと思う。

 そしてモノを捨てられない理由。こんまり先生が言うには、それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」の2つだという(p604)。まったくそのとおりだと思う。
 自分自身について考えてみると、単純な愛着以外に、「いつか使いたくなった、もしくは必要だとわかったときに、捨てたことを後悔するのではないか」という恐れであると思う。それが意味するのは「自分にとって必要なものが判断できない」ということであり、「とりあえず、とっておけば安心」という心理がはたらく。

 「5歳で主婦雑誌を読みはじめたことをきっかけに、15歳から本格的に片づけについての研究を始めた」こんまり先生の片づけ理論の大枠は、「モノを捨てること」と「モノの定位置を決める」こと。でもモノを捨てないことには、そもそもモノが入るスペースができないので、より重要なのは「モノを捨てる」というステップである。

 この本のエッセンスはとにもかくにも第2章(まずは「捨てる」を終わらせる)。モノを捨てるための「精神の技法」が書かれている。
 第一ステップは「まずは理想の暮らしを考える」こと。残すモノを決めるために、どんな暮らしがしたいのかを考える。なるべく具体的にするところがポイント。
 ここまではよくあるのだが、次のステップが一番衝撃だった。
「触ったときに、ときめきを感じるモノだけを残す」
こんまり先生の、このステップがこの本のエッセンスと言っても過言でないと思う。この判断法が受け入れられるかどうかで、この本の片づけ法が向くか向かないかがはっきり分かれる。
 こんまり先生は、「とにかくモノを触ってみたときの体の反応を感じてみることだ」と言う。大事なポイントは、必ずモノは収納から出すこと。収納に入ったままではモノは「寝ている」ので判断できない。服ならクローゼットやタンスから出し、本なら本棚から出し、ひとつひとつ触ること。「ひとつひとつ触ると、「ときめき」を感じるモノがあるはず。それはあなたを幸せにしてくるモノだから残すべきもの。ときめきを感じなければ捨てる」という。
 身体反応で判断するという視点が面白い。キネシオロジー的でもあるなと思った。

 私も初めて読んだときにここでちょっと困惑したのだが、とりあえずやってみた。服は収納から出して部屋の真ん中に積み上げ(同じカテゴリーのものを一気に出して処分、という方法が推奨されている)ひとつひとつ触って「ときめき」を感じるかどうかを判断してみた。
 案の定、着ないのにもったいなくて長くとってあるものはあまりときめかないことが多い。またそれほど素敵だと思っていなくても、結構ときめいたりする場合もあった。だいたい衣類は3分の1くらいになった。

 本に関しては読まないが仕事上調べものにとっておきたいという本が多くあったので、あまりときめかないものも含めて、400冊弱を裁断して電子化した。電子化して物理スペースが空くだけでも気持ちが楽になった。

 やってみて驚いたのは、「ときめき」を基準にすると、案外判断がスムーズにできることである。
 触ってみるとやはりあまり輝かないものというのがあって、そのために輝くものが埋もれている。捨てたあとも案外後悔がなくて、むしろすがすがしさだけが残る。
 もちろん「何でこんなモノ買ったんだろう・・・」と身悶えしてしまうことも多数あったが、それは通らなければならないステップだと、こんまり先生は語る。「一つひとつのモノに向き合って、そこで出てきた感情を味わって初めて、モノとの関係が消化できると考えています」(p612)。

 ある意味モノを買うという行為は、自分をありのままより良く見せるための“武装”なのだろう。武装は続けていくと、もっと武装しなければもっと強い敵が現れるのではないかという不安に駆られていく。その結果、自分では使いこなせない武器が増え、武装の中に埋もれていく。ところがモノを捨てて“武装解除“してみると、そんな敵はおらず、むしろ自分自身の不安が敵の本体だったということがわかってくる。
 
 今年の年末年始にも片づけの続きを進めて、だいぶ色々なものが整理されてきた。結果わかったのは、使わないものを持っていることはだいぶ精神衛生上よくない、ということと、スペースが空くとおっくうだった行動が軽やかになることだった。やっぱり物理的な空間を空けるということは、重要です。

【書評】人生がときめく片づけの魔法(2)につづく。(2)はなぜか片づけとアスペルガーと摂食障害とBPDについてです。

<目次>
第1章 片づけても、片づけても、片づかないのはなぜ?(片づけを習ったことがないから、片づけられない/「一気に片づけるとリバウンドする」にだまされないで! ほか)/第2章 まずは「捨てる」を終わらせる(一気に、短期に、完璧に、まずは「捨てる」を終わらせる/モノを捨てる前に「理想の暮らし」を考える ほか)/第3章 「モノ別」に片づけるとこんなにうまくいく(片づけの順番ー「モノ別」に必ず正しい順番で片づける/衣類ー家にあるすべての服をまず床に並べる ほか)/第4章 人生がキラキラ輝く「ときめき収納レッスン」(家にある「あらゆるモノの定位置」を決める/モノを捨てる前に「収納のワザ」に走ってはいけない ほか)/第5章 人生がドラマチックに変わる片づけの魔法(部屋を片づけると、なぜかやりたいことが見つかる/人生をドラマチックに変える「片づけの魔法」効果 ほか)